早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
産業界から浦島太郎のように28年ぶりに大学に戻ってほぼ1年,びっくり仰天する出来事が続いた.そのひとつに「ものづくりの大切さ」への誤解がある.
2月に集中して行われる卒論・修論発表に出席してみた.真面目にしっかり研究し,教育していると評判の研究室の学生発表は聞いてすぐにわかる.立ち居振る舞いだけでなく,その内容にも厳しい指導の結果がにじみ出ている.そのまま産業界に出しても恥ずかしくない成果である.しかしこれとは逆に,研究の経過を説明するだけで結論も主張もない内容もある.「それで君の結論は?」と問うと,黙ったままである.また,自分の成果を研究室内の学生のアンケート結果で評価していた発表もある.工学は実験や解析のデータが命である.工学に主観的要素の大きいアンケートによる評価などあるのだろうか?
さらに困ったことは,一見もっともらしく製作・実験し,その作品を発表した卒論があるが.「それで・・・何がわかったの,何が結論?」と質問すると答えがない.どうもただ作っただけの「作品」が卒論の成果であると主張したいらしい.
大学で初めてものづくりに目覚め(それはそれで結構なことだが)「ものづくりを楽しむところが大学」と勘違いし,そのまま卒論・修論も「秋葉原と東急ハンズの組立品」の工作発表会となっている.
現在では子供の頃にもの作り体験を積んできた学生は希である.大学一年生では先ずもの作り遊び(自動車玩具のメカニズム,小型エンジンの分解・組立,スポーツカーのスケッチ等)の楽しさを経験させる授業から始まる.入試科目に物理を省いた大学が,高校物理をやり直していることと同じである.本来なら大学に入る前に経験すべきことを大学で体験させる.
ものづくりは大切である.しかし大学はものづくりそのものを教えるところではなく,ものづくりの大切さを啓発し,その基礎・基盤の学問を提供する場である.
仮説→実験解析→検証を繰り返して矛盾を整理し,確としたデータで自分の考えを表現し,周囲を納得させなければならない.驚きと危機感を増した卒論・修論発表会であった.