早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
大隈侯が主唱する「学問の独立」とはいったいどのような意味が込められているのだろうか.筆者も「わかったようでわかっていないモヤモヤした概念」であった.ここで,大隈の残した資料から「学問の独立」について改めて考えてみよう.
「ペルリが来航して以来,洋学が流行しはじめた.私も西洋の事情を勉強した一人だ.御維新後,種々の学校ができ,おもに西洋の学問をさせた.西洋の最も進んだものを日本に持って来て,『西洋の学問は必要だ,すべての学問は西洋でなければならぬ』という訳で,その中には独逸派,英国派,亜米利加派などいろいろ出来た.政治家,法律家.軍人においても,派が出来るようになった.教育は実に大切である.しかし,その土台を組立てるための教育に独自の根底がない.『外国の方法に依って日本人が教育される』とは実に恐るべきことだ.これではいけない.国の独立が危ない.どうしても学問は独立させなければいけない.
ここで,ロシアの例を出そう.ピョートル大帝という不世出の英主が,西方ヨーロッパの文明を導こうとして,あらゆる学術・文芸をロシアに導き入れた.ロシアにも初めは日本と同じく方々の国の学問で溢れた.不充分ながらロシアの学問を以て大学校が5~6 校できてきた.そこでピョートル大帝はロシア語を以てあらゆる高尚の学術(サイエンス)を教えるよう指示したのである.教科書は皆ロシア語で書いたものだ.その実これはゲルマン人や英国人や方々の国の人達が書いた本であるかも知れぬが,それをロシア語に直して教えている.即ちロシアの国民をロシア語で以てロシアの大学校で教えているのである.二年も経たない間にロシアの学問は独立をしたのである.日本にそういうものがあるか? どうも無かったのである.これではいけない.それ故にどうかしてこの日本語を以て充分高尚の学科を教えるところの学校をこしらえることが必要である.中には随分過激な論もあって,『日本語を英語にしてしまえ』などという論者もあり,あるいは仮名の会とか,ローマ字会とか,種々雑多なものが起ったのである.なるほど日本の文章は不充分,文字は不都合だ.かくの如き不充分さで,この複雑なる最も高尚なる「サイエンス」というものを理解することが出来るか,解釈することが出来るか,という疑いを世間は持っておったのである.日本人の文章を以てこれを充分に解釈することが出来ぬという訳ならば,日本の国は危ないが,決してそういう道理はない.その証拠に,かつて千三百年前にインドから大乗とか天台とかいうような,実に驚くべき高尚な哲学が日本に導かれた時に,日本の言葉はまだ不充分であった.それでもその高尚な仏学を皆理解した.支那人より一層よく理解した.日本の不充分なる言葉と文章で以て,高尚なる仏学を日本人は解釈したのである.えらい力だ.それ故に私は決して今日の如何なる高尚の学問も日本の文字と言葉で言直すことが出来ぬ道理はないと思う.それ故に充分に学者達がそこに力を致したならば,必ず日本の学問はあらゆる教科書を皆日本の文字で,日本語で講義をすることが出来る.それから進んで著述をし,あるいはまた無いというものは翻訳をすれば必ず出来ることと考えたから,即ち私は“学問の独立”ということを大胆にも唱えたのである.理科即ち物理学は,私はどうしても学問の土台となるものと考えたのである.ところがこの私立学校で,なかんずくこの理科にはどうもあまり社会が注意してくれぬ.そうしてなかなか理科は金が要る.入費が要る.どうも貧乏なる学校では続かぬ.それから教師が来てくれぬ.そこでこの理科は初陣に失敗をしたのである.この理科の失敗は千歳の遺憾である.理科どころではない.それから工科もやはりやられなかった.即ちこの邦語でやるという大胆な企ては,まず始めに政治・法律それと理科というものを置いた.だが,なかなか工科とかその他のものへ及ぶところではなかった」
このように大隈は,日本語による授業を打ち出した.当時は,学界を代表する東京帝国大学や私学でも,日本人の教授らも英語で講義を行っていた.法律学も時にはドイツ語でも講じられた.学問の自主性を確立する観点から,日本語による講義の必要性を説いたのである.その後,帝大でも英語による授業を廃止し,日本語で講義が行われるようになった.
大隈らの東京専門学校(後の早稲田大学)を立ち上げた際に,「一国の独立は国民の独立に基づき,国民の独立はその精神の独立に根ざすとし,国民精神の独立は,『実に学問の独立』に由る」(開校式における小野梓の演説)と宣し,何よりも「学問の独立」をその建学精神としたのである.
この「学問の独立」は極めて重要な示唆を現在の教育に与えている.特に理工学系大学では,グローバル化推進のため,英語による講義に関心が注がれていているが,日本語で講義することの大切さを主張したのが,大隈の“学問の独立”なのである.