早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
実績データをプロットして線図を引くと,現象の全体的傾向が把握できる.もし,その線図の範囲外を予測したい場合は既存の線図の延長線上に外挿,あるいは内挿して未知の領域を推定することになる.
私たちが人物評価する場合はどうであろうか.過去の実績はプロットして線図を引けば,ほぼ判断できる.ところが,未来の能力や仕事を期待する場合はどうか.就職・転職や配置転換・新規プロジェクト,さらには政治家や知事を選ぶとき,彼らの実績をプロットして,未来に向けて線図を外挿し「これなら任せられる」と緻密な判断をして選んでいるかと問われると甚だ疑わしい.言葉や氏育ち,外見に惑わされたり,イメージに頼ったりしていることがかなり多い.「あの行動は本来の自分ではなかった,本音は違う」と過去のプロットを消そうとしたり,自己弁護をする人もいる.一方,実績からかけ離れて高いところに未来のプロットを書き込み「やります!」と声高にいう人もいる.しかし,いずれも疑わしい.人間も自然界の一員であり連続体の延長でしか行動できないはずである.
その人の生き様を客観的に判断できる手段は行動すなわち実績のプロットしかないと私は思っている.「急ぐ仕事は忙しい人に頼め」は真実を突いている.政治家が大言壮語を吐いても「今までどのような行動や成果を残したの?」と実績データを調べれば,その外挿線上に日本を託すべき人材か否かが見えてくるはずである.
ただ,この原則に合わないことを教員になって改めて発見した.それは若者の場合である.卒業論文も一年間は目に見える進捗や成果を見せず「もうだめか!」と諦めかけていたところ,最後の数ヶ月で劇的な展開や行動力を示すことが少なくない.
若い年代は実績を示すプロットが全くないか,あっても数点しかなく,線図を引くこと自体が難しい.いわんや線図の先を判断することは不可能に近い.このことが,教員の苦労の種であり,楽しみでもある.