小栗上野介忠順は文政十年(1827年)、旗本・小栗忠高の子として旗本屋敷である江戸駿河台、現在の明大通りの角で生まれた。早くからその才を認められ、16歳で江戸城に初登城、徳川家慶に御目見えし、26歳で徳川家定に近侍、28歳で父の小栗忠高の家督を相続した。33歳の万延元年(1860年)、大老・井伊直弼の推挙を受けて、幕府検米使節の実質的なリーダーとして渡米することになった。日本のものづくりは大丈夫か(3).pdfダウンロード:PDF • 9.85MB