●「東京フォーラム(WEB)」

【日時】2021年10月16日(土)13:30-17:30

【テーマ】「日本のものづくりはもう勝てないのか?

​【講師】浅川 基夫氏(早稲田大学名誉教授)

【会場】ZOOMでのオンライン開催 

【概要】

1.概要

 江戸~幕末の技術者(鍋島直正、小栗忠順ほか)のご紹介を中心に日本のものづくりの源流をたどる第1部、日本のものづくりの将来について考察する第2部、の2部構成で浅川先生にご講演いただきました。参加者はチャットで意見を書き込み、その内容をもとに、改めて浅川先生と議論するという形式で、発信が特定の方に偏ることなく広く発言を促す工夫が試されました。

 新たな知見をいただきながら、新たな問いもいただく。知れば知るほど、知らないことが増えていく感覚。でも知ろうとすることを止めてはいけないのだろう。歴史を知り、謙虚に未来を考え続ける重要性。今の我々世代は、「今どきの若者は」の“熱い思い”に気づかない世代のループにはまっているだけなのかもしれない。などなど。今回もまた、様々な角度から思索することになりました。

2.はじめに

 テクノ未来塾との出会いは、15年前長谷川さんに誘われたこと。林先生からは長谷川さんに協力頼まれたら「協力してね」と頼まれた。今、その頃新入社員だった皆さんが出世されているのを見て感慨深い思いが湧いてくる。

 PART Iは大きく話してPART IIは個別に話す。

 

3.PART 1

 将来を考える手掛かりとして「1年後を見るには10年前、10年後を見るには100年前をみよ」と言われる歴史を、モノづくりに焦点を当てた、内容として紹介する。鍋島直正、小栗忠順を中心に話を進める。

 

(1)鍋島直正を中心に

・直正が27歳のとき、アヘン戦争が勃発し、危機感を覚える。藩の若手藩士に出島に来航した船内を訪問させて、大砲作りと造船のベースとなる素材技術まで遡って、自前で作ることの大切さを学ばせた。

・直正は機械工学を学んだオランダ人フルベッキを高額で招聘した。大隈重信はフルベッキと親しくなり、科学技術の大切さを実感し、早大理工学部創設に繋がった。

・岩倉使節団はフルベッキのアドバイスで編成され、欧米への留学生58名を含めて107名が派遣された。その中の一人に津田梅子がいた。

・阿部正弘は25歳で老中筆頭に抜擢され、長崎海軍伝習所や講武所、蕃書調書を開設し、江川英龍、ジョン万次郎、勝海舟などの人材を大胆に登用した。39歳で夭折。開国の基礎を築いた。

・長崎海軍伝習所の隣に修理工場を持って造船技術を扱う。現在の三菱長崎造船所になった。

古来から伝わる日本の伝統的加工技術として日本刀がある。外側に硬いハイカーボン、内側に柔らかいローカーボンの複合構造。今でも欧米から驚枯れる技術で、このベースがあって明治以降早く鉄鋼技術を立ち上げられた。

・種子島も1542年に2丁が伝来すると数年後に数百丁の量産技術ができていた。その作り方は鉄の鉢巻で筒形状を作るもので、戦艦大和の大砲も同様の技術で東京製鋼により作られた。

・からくり技術も伝承されており、1851年に田中久重が1000点の手作りによる部品でできた機械式和時計を製作している。文字書き人形では6000点の部品を用いた。これらの技術が明治維新を助けた。

 

・徴古館にはロシアのプチャーチン率いる艦船が保有していた蒸気車雛形の複製蒸気車が保存されており、直正にこれを作れと言われたエンジニア家臣がわずか2年で複製した。小さい歯車と大きい歯車を組み合わせたトルクの原理(ギア比)も応用された。

 

・反射炉は韮山の反射炉が有名であったが、最初に実用化したのは佐賀藩の反射炉であった。それを支えたのは伊万里焼の技術であった。伝統技術を持っていると強い。

 

・大砲の円筒を鋳込む際、巣が入ってしまい発車の際割れて爆発した。エンジニア藩士は諦めて切腹を願い出たが、直正は「技術には失敗はつきものである。できるまでやりなさい。」と諭した。一旦寸胴の円柱を鋳込み、後からキリで穴を開ける方法に切り替えた。

 

・直正の思いと注目点は、①時局に敏感であった(アヘン戦争への対応)、②対策が具体的で、集中化されていた(大砲と大型船建造に集中)、③有能な外国人教師の招聘(フルベッキー)、④若い藩士の教育に熱心であった、ことである。

 

(2)小栗忠順を中心に

・小栗忠順は遣米使節団として訪米。ワシントン海軍工廠では熱間鍛造用蒸気ハンマー、反射炉、鋳造炉などの世界レベルの造船技術を見学した。帰国時に財布をはたいて造船で使われたネジなどの技術の詰まった製品を持ち帰った。1860年6月22日付けニューヨークタイムズに「そっくり真似され改良されて、我が国に戻ってくるに違いない。」として記録された。遣欧使節として送られた福沢諭吉をはじめ、日高圭三郎、佐野鼎など、その子孫を含め後世の日本に大きく貢献した。

・フランスからヴェルニーを招聘して、アメリカにあったような海軍工廠を作らせた。当時27歳であったヴェルニーは横須賀の入江に着目して、日本で最初のドライドッグを完成させた。設備の導入する際も「最新の機械は故障する確率も高いので、型は多少古くても使い込まれて故障の確率の低いものを選ぶ。」と説いたことから、この頃の日本の工場建設における模範となった。煉瓦造の工場やスチーム動力などは富岡製糸場に転用されている。

 

・製鉄所内には1866年に職工技師を育てる「学舎」が設定され、ヴェルニーが校長となって、出身校のエコール・ポリテクニクを模範として、仏語・数学・物理・造船技術・機械学・製図法を教えた。幕府の費用で賄われ、優秀な生徒を集めた。明治以降、海軍機関学校→工部大学校→東京帝国大学工学部造船学科となった。

・小栗は江戸に韮山と同じタイプの反射炉と大砲製造工場を作るとともに西洋式のホテルを建設した。その際、商社設立構想を提唱して株式制度を試行した。大隈重信は「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない。」と発言した。東郷平八郎は1916年に小栗家の遺族に対して「日本海海戦でロシア艦隊を完全に破ることができたのは、小栗さんが横須賀造船所を造ってくれたこと、それに繋がる技術で富岡製糸場の生糸収入が日露戦争の軍資金となったおかげ。」とお礼を述べている。

 

(3)Part IIに向けて:国力の衰退について

・高橋正堯氏は40年前に、日本と16世紀以降に衰退したヴェネツィア重ねて、日本が衰退へ向かう危機感を発信していた。かつて造船技術を開発して海洋大国になったヴェネツィアは15世紀にポルトガルやオランダとの新しい帆船技術の開発競争に敗れ、また国内の階級が固定化して支配階層の貴族階級がリスクを避け、貿易を敬遠して資産運用に走り、貴族が結構しなくなって人口が減少し、結果として衰退した。

 

・マハティール氏は20年前に、国の人口が減少し高齢化することは衰退の道を歩んでいることになると指摘し、日本は何の変哲もない平凡な国へ向かいつつあるとした。そして、日本の若者に対して海外に出て学ぶことを推奨した。

 

・日本の賃金は1997年から変わらず、物価も2000年から上昇していない。米国では中産階級が億ションを購入しており、中国人は日本の安いモノを爆買いするようになった。日本は世界が伸びている中に取り残されているのに気が付いていない。

 

・工学論文数、特許出願数、研究開発費も頭打ちか減少してきており、将来が不安である。モノづくりを理解しようとしない行政官が予算の決定権を握っていることが問題である。

 

・技能5輪は9年前まで日本はメダルの常連国であったはずであるが今はマスコミの話題にすら登らなくなった。現在は中国、スイス、韓国がメダルの常連国である。

 

・よく考えると中国は2〜3千年前からロストワックス技術や異種金属熔接、クロムメッキなど、世界に先駆けて新しい技術を有する国であったことを忘れてはならない。

 

・大学進学率を見ると、OECD先進国の平均が60%に対して日本は50%前後と低い。うち理工系の進学率は平均が40%に対して日本は20%強と低い。韓国や独が59%を超えるのと比較すると目を覆いたくなる。この背景にあるのは欧州や中国では理系出身者が国の政治経済を動かしていること。日本の行政もモノづくりを熟知した官僚が行政をハンドリングする必要がある。

 

・日本の大学が凋落したのは、歴史的・構造的な要因による。明治政府は独の大学の講座制を採用した結果、教授を頂点とする権威主義的なヒエラルキーが出来上ってしまった。ヒエラルキーは教授という権威の下での家元制度になってしまい、組織が硬直化してしまった。黒川清氏はこの状況を打破するには、多くの俊才を大学院生として欧米や信仰アジアの一流大学に留学させて、独立した研究者の第一歩を歩ませよう、と呼びかけた。

 

・学生の学費支援状況を見ると、米国のグラント制度は毎年学費とは別に約800万円が支給されるのに対し、日本では年間241万円が支給されるのみでここから学費を捻出する必要がありさらにはバイト禁止という縛りもある。このようなことから、日本では修士課程終了時に就職する人が多く、企業からも採用後の配属に文句が出にくいことから重宝されている現状がある。

 <チャットのコメント_PART I

4.PART II

(1) ものづくりに貢献した人物

・島津斉彬は理系の殿様だったし様々な提案をした。佐野常民は鍋島直正の家来であったけれど実際に船の修理工場を作り日本の赤十字社を立ち上げた文と理の両方を経験した。西山弥太郎は金物屋に修行して金物が儲かることに目を付け、4学年遅れでも学び直すことを決め高等学校から東京帝国大学に入り俵国一の下で冶金学を学び、電炉メーカーも高炉を持つ必要があるとしてJFE-HDの前身を立ち上げた。日向方齋は戦前に超大企業であった住友金属を戦後の不況下15万人いた従業員を1/3に削減したり、その後小倉製鋼を合併して高炉技術を入手し和歌山工場、鹿島工場へと発展させた。豊田喜一郎は機織り機から自動車へと舵を切った。本田宗一郎は2輪車メーカーから4輪車メーカーへと反対する官僚と堂々と戦いながら実現した。

 

(2) 材料とものづくり技術

・日本のものづくりはGDPの21%で約1000万人が従事する。民間の研究開発費のうち91%を、輸出比率の94%を占める。このベースがあるものづくりをやめてIT分野や金融分野を主力にしてゆく話もあるが、現状を考えると難しいであろう。G7諸国のうち製造業の付加価値額が100兆円を維持しているのは日本とドイツのみである。米国はすでにIT分野と金融分野が主力になっている。

 

・東洋経済が数年前にまとめた世界に占める日本の素材・部材・部品のシェア調査資料によると、自動車は金額が大きく38.1兆円を占めているがシェアは29%に止まる。これに対して素材・部品の高張力鋼板80%、半導体のシリコンウェハ70%、光学レンズ64%、等のように部品から化学品を含めて60〜100%を占める。このように素材・部材・部品産業は日本の宝であり、その技術を簡単に移転できない特徴を持つ。加熱設備があり熔解設備があり、そこに擦り合わせ技術が必要な上に、そのほとんどが国内に拠点があることから、日本の得意分野になっている。

 

・スポーツ自転車のシマノは材料と熱処理を強みとしており、その世界シェアは80%に達する。小倉製鉄所にいた頃にここを担当したが、納入した鋼材に細かくクレームを付けて来るメーカーであった。Liイオン電池の完成品事業から早期に撤退した旭化成はその素材・部品である隔膜に特化して高シェア・高収益を上げている。鉄鋼材料も高張力鋼板と鋼線は現在の2倍の強度を有することから世界をリードする商品群である。ここ数日話題に登っている日鉄のトヨタを巻き込んだ電磁鋼板の特許侵害への対応は重要であり、顧客であろうと問題を問題として扱う姿勢が大切である。

(3)ものづくりとデジタルのハイブリッド技術

・ものづくりとデジタルを合わせる時には注意が必要で、単なるデジタル化はコモディティ化につながり、技術の墓場行きになってしまう。デジタル技術はいつの時代でもアナログ技術を師匠としており、アナログ技術の優れた点を絶対に捨ててはいけない。例えば、現在静かなブームになっているレコード針のLPプレーヤーに目を向けると、CDプレーヤーは2万サイクルが上限であるのに対してLPプレーヤーは100万サイクルまで音が出る事実がある。これをデジタルで実現することは新たな挑戦になる。このことから単に古い技術だとしてアナログを捨てるのではなく、勝ち残るいいところを見極めて使ってゆくことが一つの答えになる。

 

・独の大学研究所を見学した時に見た例では、プレスの動作をカム機構で制御する技術の研究で、熱間鍛造時に与えるキズを調査するものであった。そこにアナログ技術をタダでは捨てない意気込みを見た気がする。この姿勢は日本も見習う必要がある。米国はすでに製造業を捨ててRUST BELT(錆びた地帯)にしてしまっており、もはや米国企業だけで完結できるものづくりはほとんどない。航空機産業ですら、機体軽量化技術は日本の新技術が核になっている。研究から開発・実用化まで一気通貫でワンセットになった材料とものづくり技術を有するのは日本と独だけであり、ここが米国のみならず中国・韓国・東南アジア諸国から求められている。

 

・ものづくりとデジタルのハイブリッド技術として開発が始まったものにトヨタが静岡県裾野市で進める「実験都市」がある。自動運転やロボット、スマートホームなど先端技術を開発する未来の都市構想であり、ものづくりとことづくりの融合として優れた着眼である。

 

(4)人口減少に見合ったスリム化ものづくり

・日本の人口変化を長い目で見て、800年(奈良時代)から2100年までを俯瞰すると、江戸時代に若干増えた時もあるけれど、やはり明治維新から2004年までに急激に人口が増加しているのが分かる。この時に高度成長したので人口が増えたと解釈されることが多いけれど、人口が増えたから高度成長せざるを得なかったと見るのが正解ではないかと考えている。その人口は2004年にピークである1.27億人に達し、現在はすでに減少している。これから2100年に向けて日本は世界に20年先駆けて人口が急激に減少する時代を迎える。その時に起こる変化への対応は仕組み変更が必須でノウハウも蓄積できるため危機でもあるがチャンスとも捉えられる。チャンスとして活かす視点で考えるヒントとして、大量生産・大量消費のGDP指向から一人当たりのGDPを最大化する指向への転換がある。例えば、現在の一人当たりのGDP額は日本は4.0万ドルで世界で23位に位置し、日本と同じものづくり国家であるスイスは8.7万ドルで3位にある。日本もうまくやれば今の倍の給料になる可能性がある。

 

・今まで良しとされてきた日本人の特性が人口減少ステージでは弱点になる可能性がある。知能は高く、真面目で内向的で専門職に向いている。うつは日本人の風土病。典型的性格は真面目・几帳面・強い責任感・周囲の目を気にする、人間関係のトラブルを嫌う。不安感の強い日本人はお互いを気にする社会を作り上げ、道徳警察社会のような生きづらいものにしてしまう。ひ弱な蘭。(橘玲)

 

・そのような日本人は、「会議では意見を言わない」「集団の陰に隠れて矢面に立たない」「自分は安全な位置にいて批判・評論だけする」「チャレンジ精神に乏しく消極的」「意思決定が遅い」「自分の考えを持たず発言したがらない」「違う意見を言うと笑われる危険があるので、みんなと同じですと答える」「教えてもらっていないことはできなくて当然と」

 

・個の確立が大切。勇気・公正・公平といった精神軸と教養を身に付ける事が必要。(木村貴志)

 

(5)外国人研究者・技術者の招聘

・2019年6月ネイチャーによる「質の高い論文ランキング」にOIST(沖縄科学技術大学院大学)が世界9位に。(同ランキングで東大は40位)沖縄県に本部を置く5年一貫制の博士課程を有する2011年発足の大学院大学で予算のほぼ全額を政府からの補助金で賄う。半分以上を海外からの有能人材を招聘。学長は元マックス・プランク研究所会長のピーター・グルース氏。

 

・2019年秋のラグビーワールドカップ日本代表は31人中15人が外国出身であった。自己主張のできる海外の優秀な若者と一緒にして、日本人の気質を変える事に期待している。

 

(6)個人が思いを語れる日本にしよう

・台湾鉄鋼メーカーでは講演会の後の若手エンジニア30名から3時間も実利的な質問攻めてきた。中国上海のオーナー社長の子息の若者は10分間将来の経営に対する夢(思い)を熱く語った。

 

・ジョン万次郎や大黒屋光太夫は漂流後に助けられたとき、救助先の米国や露国で貪欲に学んで周いからの信頼を得た。伊藤博文は英国との難しい交渉をアーネスト佐藤らに西洋料理のもてなしを行うことで有利に運んだ。

 

・東北電力の平井弥之助氏は史実に基づき女川原子力発電所を14.8メートルの高台に設置させた。

 

・伊藤俊幸氏は司令官の役割は、どんな状況にも対応できる選択肢を事前に検討し進言することとし、トランプに罷免されたティラーソンを挙げた。

 

・SONY創立者の盛田昭夫氏は「誤解を恐れずに言うと、私は生意気な人が欲しい。欲が無い人間、好奇心のない人間に用はない。」とした。

 

・司馬遼太郎は龍馬に「人間は何のために生きちゅるか知っちょるか。事をなすためじゃ。人間には志というものがある。妄執と申してもよい。この妄執の味が人生の味じゃ。」と語らせている。

 

・稲盛和夫氏は、望みを成就するためには、並に思ったのではダメ。「凄まじく思う」こと、寝ても覚めても四六時中そのことを思い続け考え抜く。頭のてっぺんから爪先まで全身でその思いで一杯にして、切れば血の代わりに「思い」が流れる、それが物事を成就させる原動力である、と語る。

 <チャットのコメント_PART II

(文責・吉川)

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