早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
住友金属工業に務めて28 年,早稲田大学にお世話になって18年が過ぎました.住金では尼崎の研究所に8 年,小倉製鉄所の現場に17 年,東京本社の企画部に3 年在籍しました.この間,研究,開発,現場工場操業,品質保証,客先対応,本社の行政など会社としての一通りの業務を経験し,これが実務経験として大学の教育・研究に役に立ちました.ただし転勤7 回,引越し11 回と家族には迷惑をかけてしまいました.
「大学の常識は社会の非常識」といわれるように当初はかなりとまどいました.大学から見れば「私が大学の非常識人間」と見られていました.最初の数年間は理事会・教員組合・教授会・主任会・教室会議で相当議論を吹っかけました.その典型例が「給与が年齢給」であることです.「能力にかかわらず待遇が同じ」というあり得ないシステムに腹立たしく思いましたが,ある時「研究に失敗しても,総長や学部長に楯突いても,自分の給与に影響ない」ことに気がつき,腹が立つのではなく腹が据わったことを覚えています.
私が教員になった当時の機械工学科は1人の先生当たり学生数Student Ratio が14 人でした.理工の学科平均は当時8 人です.機械工学科は3 年から研究室に配属されるので,私の研究室は大学院を含めると40 人近くに膨れあがります.まず学生から「同じ授業料を払っているのになぜ機械工学科だけが学生数が多いのか」との不満に答える必要がありました.それは当然な不満でした.その後,数年にわたり私はStudent Ratio の是正に走りました.幸いにも2007 年の大学改革時に他学科並みに8 人ほどに是正して頂きました.やはり実情をしっかりと伝え,共感を得ることが大切と痛感しました.
機械工学科は同じ時期「総機」と「機航」分かれました.これも科内で合宿したり,教室会議後,夜遅くまで長期間議論をした結果であり,双方納得しました.今でも私は良かったと思っています.ただし,OB や世間からは「どうして2つに分かれるの?」との疑問を問いかけられます.これは両学科が実績で世間に示す以外にはないと考えております.以上のように総じて大学生活はやりがいがあり充実した日々でした.が,一つだけ未解決な難題があります.
旧帝大と早慶を比較して考えますと,早大だけにないもの・・・それは医学部です.それでは旧帝大にあって早稲田にも慶応にもないものは何でしょうか・・・それは「材料系学科」です.早大の「材料系学科」旧帝大に負けないばかりか材研を含めれば旧帝大よりも力があると世間では認められてきました.逢坂委員会でも堀越委員会でもその必要性が強調されました.是非学術院を中心に今後とも皆さんのご協力御願い致します.18 年間大変お世話になりました.