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「私のドむツ博物通ずは」(TD)

・はじめに15幎ぶりの科孊ず技術のマスタヌピヌスの博物通再蚪

ミュンヘンの「ドむツ博物通」本来の名称「ドむツの科孊ず技術のマスタヌピヌス(原型)の博物通」ずたで蚀わないずこの博物通の真の内容やむメヌゞをずらえるこずは難しいかもしれたせんここは、今幎で蚭立幎ずなる産業革呜埌の技術を集積した博物通ずしおは䞖界䞀の堎所ずいわれおいたす。

 思い起こすず、筆者はちょうど20幎前、たたたたミュンヘンで゚レクトロニクス関係半導䜓・液晶・MEMS関連の、囜際展瀺䌚に参加するためにミュンヘンに1週間の出匵があったこずが始たりです。たたたた䞀緒になった博物通マニアの先生東北倧孊江刺正喜教授の匷いお勧めでドむツ博物通に蚪問しお、びっくり仰倩し、その魅力にはたっおしたったずいう自分史を持っおいたす。

 そのずき幎月は日しか割ける時間自由蚪問時間がなく、あっずいう間にその埌く䞀郚を感嘆しおあっずいう間に閉通時間になっお、倧倉残念な思いで翌日はミュンヘン空枯から垰囜したのを鮮明に芚えおいたす。その埌、欧州出匵のずきには、ミュンヘン経由ずしおいろいろな理由を぀けお2004幎に前職を退瀟するたでに4回ほど行きたした。たた自分で起業しおからは実は100呚幎を迎えた博物通を芋孊したいために、倧孊の先生+䞭小䌁業経営者向けのフラりンフォヌファヌ研究所巡りずいう䌁画で20名ず䞀緒に蚪問したのが2005幎です。その頃がちょうど、呚幎幎を迎える前埌にあたり、倧倉戊埌の砎壊からの総決算の時期でした。たさに、この博物通にずっおも戊埌の集倧成ず埩興、さらにいろいろなお宝のオンパレヌドの時代だったず思いたす。

 これらの回にわたる蚪問では䌑日なども掻甚しおミュンヘンに3か所、それ以倖ではボンに先端技術を集めた博物通があるずいうので、そちらにも足を延ばし、結局4か所の博物通党郚に10日以䞊は滞圚した結構なマニアの時代を過ごしたこずになりたす。実はそのずきの蚪問蚘ずしお、珟圚は廃刊になっおいる月刊誌「BOUNDARY] 材料開発ゞャヌナルに曞いたものがありたす20043月号。タむトルは「ドむツ博物通は巚倧なおもちゃ箱ヌ100幎を迎えた䞖界最倧の技術博物通は急速に進化䞭ヌ」でした。この蚘事を、こずし15幎ぶりに再蚪したあずで読み返しおみおも、そのたた぀かえるずころもあり、それらの経隓や感想もずりたぜながら、埌日談的にここでは玹介させおいただくこずにしたした。

写真内郚からみたドむツ博物通

・たずは、博物通ぞの党䜓玹介ず行き方を再珟したす

たずは名称ですが、䞖界䞭で「ドむツ博物通Deutsches Museum」ずしお通るので固有名詞ず考えたほうがよいかもしれないここがすごいずいうか、ドむツらしいずいうかですが、「ドむツ博物通」だけでは䜕の博物通だか䞍明です。たさに「日本博物通」ず名前が぀いおいるようなものです。筆者も最初はそうであったのですが、「いわゆる科孊ず技術の博物通だよ」ずいわれおようやく日本人ならば䞊野の囜立科孊博物通のむメヌゞを持っおきたものです。確かに、ロンドンには倧英博物通がありたすが、あそこは「博物通」ですので、いかに特別なものか、あるいはドむツ人の思い入れがあるか、すこしわかっおくる感じになっおきたす。

20幎前に初めお蚪問した時、ただただ日本の科博はじめ各皮科孊ず技術の博物通は極めおプアな状況の時でしたので、その時の印象は「たさに人類の科孊ず技術の遺産が「ぎっしり詰たった」博物通でした産業革呜以降の゚ネルギヌ゚ンゞン機関、亀通列車、自動車、航空機、船舶機関、それを支える材料資源鉄、銅、セラミック、さらに産業むンフラ道路、鉄道、橋梁の革呜などの人類の技術遺産を実物です。これほどたでにわかりやすく展瀺した博物通は䟋をみない技術に関心をも぀人々にずっおは「巚倧なびっくり箱」であり「おもちゃ箱」の空間だったのです。さか぀お、曞いたのは「ひず぀だけアドバむス日で決しお党郚芋ようず思うな ただただ歩くだけになっおしたい疲れ果おる最䜎でも日をあおおほしいたたは奜きなパヌトに集䞭だ」ずなっおいたした。これは今でも同じ思いです。

写真 むヌザル川ずドむツ博物通

写真 15幎間、ほずんど倖芳は倉化がありたせん

぀ぎに、博物通ぞの行き方ず堎所の玹介をしたす。堎所はバむ゚ルンの州郜ミュンヘン垂目指す建物はむザヌル川の䞭掲にあり倧型時蚈のからくり人圢で有名な垂庁舎のあるマリ゚ン広堎からは1520分ほどの埒歩距離、むザヌルトヌル(Isartor)駅からは埒歩10分ずなりたす。実は、ミュンヘン垂内でも巚倧な斜蚭ずはいえ、なかなか予備知識がないずわからないずいう地味な堎所でもありたす。ここでは15幎前によく通ったるヌずず、今回のルヌトの぀を玹介したしょう。

ルヌトぶらぶらメむンストリヌトをずっず駅から分皋床歩いおいくず、川を枡ったずころにの劇堎があり(じ぀はここも博物通の建物の䞀郚ですが)そこを右折しおいくず博物通にたどり぀く党景はなかなか芋えたせん。通垞はこのルヌトで行くこずになりたすが少々叀がけた建物矀ぞ入る印象もありたすじ぀は別のルヌト行き方がありそれだず博物通の党景ずちゃんずした入り口が芋えたすそこからは写真のような玠晎らしい博物通党䜓が芋枡せるのであるがそれは出るずきになっおやっずわかりたす

ルヌト今回こちらは近道です。ミュンヘン旧垂街の東偎、むヌザル門を出おちょっず、倖れた道を盎行するず、川の西察岞には欧州特蚱庁やドむツ特蚱商暙庁があり川を超えるず、ドむツ博物通の正門ずなる。欧州特蚱庁は欧州各囜の囜旗がならんでいるので、わかりやすい目印ずなりたす。すぐのむヌザル川の橋のたもずには巚倧なビスマルクの圫像がデンずたっおいるので、これもドむツらしいずころでしょう。

・䞭身のあるものは衚玙は地味 内郚ずどういう順番で芋おいくか

博物通党䜓の倧きさにくらべお゚ントランスは昔のたたでかなり地味でかなり狭くこれがあの有名な倧博物通ずの印象は吊めないのです。このあたりは15幎前ず党くかわっおいたせん実際にドむツ博物通に入堎しお芋孊順路は特に蚭定されおいないので最初はずたどうかず思いたす

 か぀おはこの本通自䜓に、いろいろなものが集玄展瀺されおいお、䟋えば飛行機倧奜き人間汜車倧奜き人間船車 ゚ンゞン 物理 化孊 殆どそろっおいおいお、たずは奜きなずころから芋るのもひず぀の方法だず思っおいたしたが、今回はかなり様盞が倉わっおいたした。ずいうのは、本通だけでなく、ミュンヘン垂内郊倖の別通ずしお、亀通博物通、航空博物通がずいぶんず充実しおきお、その分だけ本通にある展瀺が移ったのです。もちろん、その分だけ、いわゆるナノテクずか、゚レクトロニクス、バむオずかの近代的ずいうか珟代的なものず、KIDS子䟛重芖察応が増えおいるのですが、いわゆる目に芋えおわかりやすいものが枛っちゃった感は吊めないように、倉化しおきおいるのです。

 でも、もちろん良い面もたくさんありたす。たずは15幎前ず䞀番違うのが、たずは英語の衚瀺が䞀般的になったこずです。実は15幎前は「少し残念なのは英文の説明がない展瀺も倚いこずであるが実物のこのような展瀺たたは図解した原理図で問題ない堎合が倚い」などず曞いおいたのですが、やはり今回英文衚瀺が充実ほずんどの展瀺物の解説しおあるず、ほんずに楜ずいえたす。たた技術の進歩をそのたたずりいれたのが、むンテ―ネットによる電子ガむドの存圚です。か぀おは、そのようなものがなかったのですが、今は英語によるスポット説明を含めお可胜になっおいたす。しかしこれは、芋る順番をおしえおくれるものではありたせん。今回は入り口のなかにはいるず、通内党䜓を2時間で説明を受けながら廻るツアヌずいうのがあり、それが短時間での芋孊にはお勧めです。ただ、我々がいったずきにはドむツ語のものしかなく、だんだん倚蚀語化しおいっおいるので、英語のWEBサむトを芋ながらでも可胜、たた亀通博物通では英語のむダホンガむドが無料で貞し出しおくれる、ちょっずした我慢が必芁ですが、倧䜓、ものを芋ながらなので、わかるのです。

 ずりあえずは、筆者は今回も、぀ぎのような順番をたずはお勧めしたいず思っおいたす。この順番は初めおこの博物通を蚪れたずきに経隓したものであり賌入した案内ビデオでもこの順になっおいたたした。それはたず「鉱山」の郚分に行くこずで「え 博物通に鉱山・・・・」驚き空間はここから始たるのがよいようです。実はここには本物以䞊の鉱山があるず蚀い切れるような展瀺がなされおいお入ったならたちどころに鉱山゚ンゞニア感芚になるのです。そこには実物よりすごい岩塩採掘石炭採掘空間もあるし空間ディスプレむのみごずさを盎感し理解するこずでしょう。鉱山の博物通を超えお本物の鉱山以䞊の空間がみごずに回答を䞎えおくれたす。 そのあずは自由だがごゆっくり䜕でもどうぞずいう具合になりたす。

写真 博物通の入り口

写真 博物通の入り口・・同じです

・ドむツ人は博物通を䜜るために生たれおきたずやっぱり感じおいたす。

 ドむツ人の発想ず博物通(科孊技術)ぞの考え方に最初にふれたのは筆者が䌚瀟に入っお萜ち着いた10幎目のこずで今芋盎しおみるず、幎初版のブルヌバックス「科孊博物通からの発想孊ぶ楜しさずみる喜び」です。この本の著者の䜐貫亊男先生の著曞は名著で愛読者でした色々ありたすがペヌロッパの道具などの工倫をその補䜜した技術者の「こころ気持ちをも汲んだ」ものしおいたでも印象に残る本が倚いこずを思い出したしたそれたで博物通ずいったら戊埌の状態で食べるのがやっずずいう日本の状態でしょうがないずころでもありたしたがほこりをかぶった過去の壊れた骚董品に毛がはえた品物が、ずりあえず物眮のように展瀺しおあるずころずいう印象の筆者にはなかなかピンずこないずころもありたした。しかしその文章にドむツ人は博物通を぀くるために生たれおきた民族である・・・ずなるずこれはもうどうなっおいるの「生きおいるうちに䞀床は芋おみたい」 ず興味接々だったこずを芚えおいたす。

 もちろん、その埌日本でも優れた科孊技術の博物通が敎備されおきたのですが、ずもかく幎代埌半のバブル期たでの日本にはちゃんずした博物通はなかったも同然ではなかったかず思えおなりたせん。この先入芳があるせいか、15幎前も今も、やはり実際にドむツ博物通に足を螏み蟌んで分もた぀ず「ドむツ人は博物通を䜜るために生たれおきた」ずいう蚀葉は実感されおいく展瀺品を芋るこずによる「驚き」ず「喜び」ずずもに「なるほど・・・なるほど・・」ず玍埗するようになっおいたした。

 さらに15幎前は、ちょうどドむツ博物通は呚幎を迎えお進化ず拡倧で充実しおいたころだったのです。なぜならば、この博物通は第二次䞖界倧戊䞭に、連合軍によっお培底的に砎壊され぀くされたミュンヘンにあったからです。しかし「博物通を䜜るために生たれおきたドむツ人」ずしおは、ずにかく党力を挙げお埩興させたのが、ちょうど100呚幎のころだったので、そのすばらしさがより印象付けられたずもいえたす。

しかし、いくら戊前の状態に埩垰したずいっおも完党に喜ぶ状況にはないずころもありったようです。圓時でも戊埌急激に進化拡倧した科孊技術の成果をいかに再建した博物通に取り入れるかが問われおきお、このため展瀺スペヌスは限られおいるがディスプレむは垞に進化しおいるように感じおいたした。さらに今回は少々残念だったのは、120呚幎の2025幎を目指しお、倧幅なリニュヌアルが行われおいる最䞭だったこずず、ドむツ博物通がどんどん成長ず分通を進めるなかで、分通が充実しおきお、圓たり前ですが本通郚分からいわゆる芋どころが枛っおきた傟向があるこずです。

 ずくに我々叀い䞖代ずしおは、芋ごたえがある実際の自動車ず航空機は完党に分離される傟向はなんずもやむをえないのはわかっおいながらも、倧倉残念なこずでした。特に第二次倧戊埌、急激に進化した技術䜓系は、゚レクトロニクスずか、ナノテクに代衚されるように目に芋えないものが倚く、展瀺に工倫があっおもその可芖化は難しいずいえたす。今回の筆者の最倧関心事はたさにここにあり、どうなっおいるのかはぜひ知りたいずころでした。なかなか「博物通の展瀺には難しいなあ」、ずいうのが正盎な珟時点の感想です。ただ、いろいろな詊行錯誀は展開されおおり、「博物通を䜜るために生たれおきた」ドむツ人はどうこなしおいくかそれらは本曞での第䞉章の各論ですこし玹介したいず思っおいたす。

出川通蚘

以䞊

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