モトイズム

​浅川 基男 早稲田大学名誉教授

1996年~1999年

入学式で考えたこと 1996/4/2(Tue.)
 本日は早大理工学部の入学式.「住友金属工業から転じてこられた浅川基男教授」と記念会堂に集まった1700 名の学部新入生と院生・ご父母を含めた5千人の前で紹介され,感慨深いものがあった.式服をまとい,式典の挨拶を壇上で聞きながらつらつら考えた.
 私が生まれ育ったのは,隣がブリキ屋,向かいは木型屋,裏は旋盤2~3台の家内工業が密集した東京の下町である.ブリキ職人が円筒の金具にブリキを木棒で押し叩き(曲げ加工),炭で熱した半田ごてで鉛棒を溶かしながら一体化し(接合)雨樋やバケツを作る様子は一日中見ても飽きることがなかった.裏の親父さんは天井を走るベルト車から旋盤を回し,黒皮丸棒をピカピカの部品に削り込む.切削油と鉄の切粉から舞い上がる甘酸っぱい匂いは「働く大人の香り」そのものであった(切削加工).遊びのネタも豊富で,ベ-ゴマ(鋳鉄)のグライダ-がけ(研削加工),都電のレ-ルに釘を寝かせて造った手裏剣(圧造加工),下水工事の地下層から採り出した粘土細工(塑性加工),素焼きの型に鉛を溶解した飾物(鋳造加工),ビ-玉・拳玉(運動力学?)中学・高校では蒸気機関車足廻りの機能美とメカメカの匂いにとりつかれ,仲間と模型作りに熱中した.そして何のためらいも無く機械工学科を選んだ.
 機械製図と工作実習・工学実験は高級な遊び道具であり,この上なく楽しかった.が,ほとんどの学生を置いてけぼりにして自分の世界に入ってしまう講義に失望した.こんなある時,力学系,電気系,液系,熱系の基本プロセスが,同じ偏微分方程式に支配され,工学にはアナロジーが大切との講義を聴いたとき,目から鱗が落ちる鮮烈な印象を受けた.そして「やはり大学はすごい」と自分なりに感心し,学問にも少しずつ目覚めていった.是非,私の経験した「ものづくりから学問への感動」を学生に共有してもらえたらなあーと思っている.

産業界から大学へ 1996/5/10(Fri.)
 最近,産業界から大学に移る人が少しずつ増えている.早大理工においてもこの5年間で採用された教員のうち約4割が民間企業出身者である.特に機械は実践重視の学科であり,実務経験者の戦力を必要としており,今後とも大いに歓迎すべきことである.
 「産業界出身の教員」というと,「企業の研究員」出身者が多くなりがちである.歯に衣着せぬことで有名なある学長が「企業の研究所からきた人は必ずしもいいとは限らない.企業で使えないから大学に来る人もおり,悪い意味での典型的な大学の先生になってしまうケースがある」と警告している.小学校・中学校では生きる力をつけるという名目で「ゆとりの時間」が設けられ,一般の学習時間が大幅に削減されはじめている.いくらカリキュラムや授業時間をいじっても意味がない.生徒に「生きる力」を教えるには,生きる力を持った教員を増やす以外に方策はない.教育は人そのものだからだ.
 産業界から来られる場合,研究だけでなく,開発・実用化・クレーム処理まで体験した「生きる力」を備えた工学系教員により,若い学生を教育するのが望ましい.「いかに素晴らしい研究をしたか」を学生に論ずるよりも,「いかにして失敗したか,その失敗から学んだことは何か」の視点,すなわち「敗軍の将,兵を語る」を講義した方が学生のためになるし,学生も好奇の瞳を輝かせる.研究の成功・不成功の評価は曖昧になりがちだが,実用化・事業化段階では成功か失敗かのいずれしかない.したがって工学系の新任教員には,工学の実戦経験と成功・失敗体験が必要である.

 欲を言えば,研究所だけでなく製造・販売現場にも精通されたエンジニアが望ましい.工学系の大学は大学教員と同じような「研究者」を育成する場所ではなく,社会に対して技術で貢献す「エンジニア」を養成することが主務の教育機関である.この意味から,現在の論文数を中心とした教員採用基準が大変ネックとなっている.もっと特許件数や商品化・実用化の実績,技術表彰などの評価に重点を移すべきである.「企業出身の教員志望者を採用する場合は論文の数だけでなく特許や実用化の実績を重点に・・・」と学内で声を大きくして警告しているが,未だ少数意見である.
 産業界から大学に転身した教員のアンケート(塑性加工学会資料)323 件中,「研究に専念したい」という意見が42%,「教育に従事したい」が28%である.研究に専念したければ国や企業の研究所に行って欲しい.大学は教育がまずあり,次に研究がある.もし研究を優先するなら,「大学に,少なくとも私立大学には来ないでほしい」と警告したい.

卒論・修論の発表で驚いたこと 1997/2/10(Tue.)
 産業界から浦島太郎のように28年ぶりに大学に戻ってほぼ1年,びっくり仰天する出来事が続いた.そのひとつに「ものづくりの大切さ」への誤解がある.

 2月に集中して行われる卒論・修論発表に出席してみた.真面目にしっかり研究し,教育していると評判の研究室の学生発表は聞いてすぐにわかる.立ち居振る舞いだけでなく,その内容にも厳しい指導の結果がにじみ出ている.そのまま産業界に出しても恥ずかしくない成果である.しかしこれとは逆に,研究の経過を説明するだけで結論も主張もない内容もある.「それで君の結論は?」と問うと,黙ったままである.また,自分の成果を研究室内の学生のアンケート結果で評価していた発表もある.工学は実験や解析のデータが命である.工学に主観的要素の大きいアンケートによる評価などあるのだろうか?
 さらに困ったことは,一見もっともらしく製作・実験し,その作品を発表した卒論があるが.「それで・・・何がわかったの,何が結論?」と質問すると答えがない.どうもただ作っただけの「作品」が卒論の成果であると主張したいらしい.大学で初めてものづくりに目覚め(それはそれで結構なことだが)「ものづくりを楽しむところが大学」と勘違いし,そのまま卒論・修論も「秋葉原と東急ハンズの組立品」の工作発表会となっている.
 現在では子供の頃にもの作り体験を積んできた学生は希である.大学一年生では先ずもの作り遊び(自動車玩具のメカニズム,小型エンジンの分解・組立,スポーツカーのスケッチ等)の楽しさを経験させる授業から始まる.入試科目に物理を省いた大学が,高校物理をやり直していることと同じである.本来なら大学に入る前に経験すべきことを大学で体験させる.ものづくりは大切である.しかし大学はものづくりそのものを教えるところではなく,ものづくりの大切さを啓発し,その基礎・基盤の学問を提供する場である.仮説→実験解析→検証を繰り返して矛盾を整理し,確としたデータで自分の考えを表現し,周囲を納得させなければならない.驚きと危機感を増した卒論・修論発表会であった.


学科の名称と基礎基盤 1997/8/30 (Mon.)
 機械工学科の名称を「知能機械」,「機械情報」,「機械システム」等と細分化・先端化している大学が多くなった.むしろ名前を変えるのなら「基礎機械工学科」,「基盤機械工学科」,「基幹機械工学科」等とし,幅広く基本的な科学やエンジニアリングセンスを養成する基礎に重点を置くべきであり,産業界もそれを期待して
いるはずである.
 一方よく産業界から,「大学教育は役に立たない」と批判され,それを反映したわけでもないと思うが最先端の技術名を冠した選択科目が増大している.研究そのものは最先端分野を推進してもよいが,無地の学生に最先端技術を教える場合,よほど注意しないと地に足がつかない独善性に陥りやすい.例えばロボット工学もバイオエンジニアリングもその元をたどれば,力学,機構学,制御工学であり,流体力学,材料力学である.この基礎・基盤科目こそ大学の教育に課せられた使命である.よく応用物理学科の卒業生は産業界で評判が良いと耳にするし,私もその経験がある.即戦とは言えないが,仕事の領域が変化しても,常に物の道理を基本から考える習慣があるため,よく掘り下げた着実な仕事ができる.
 機械工学科が「潰しが効く」との評判を得たのも同様なことと考えられる.機械系では,材料力学,流体力学,熱力学,機械力学および機械設計,機械実験・実習科目はその根幹をなしている.
 しかし「ゆとりの教育」から総単位数が減少し,そのしわ寄せがこれら重要科目の削減に繋がっている.むしろ私は機械系にはもっと数学・物理に重点を置いた工学演習(演習でないと身に付きにくい)の科目を増強すべきであると考えている.これらの科目は就職してからは再教育しにくく,大学時代にこそしっかりと修得すべき基礎・基盤科目だからである.
 日本の狭い国土に一億の民が生存していくためにはイノベーションを伴った「もの作り」に専念するしかない.日本システムがおかしくなった今こそ,イノべーションを発露する根元の教育が大学に求められている.

学部長へ教員枠是正を要望する 1999/2/5 (Fri.)
 早稲田に赴任して早くも2 年後に,機械工学科主任の役割が回ってきた.主任としての役割は多岐にわたる.その一つに学部長と各学科主任が一堂に会する主任会議がある.あるとき学部長の教員枠配分案に対して腑に落ちない点があったので,機械工学科主任として,以下のような対案をまとめ,要望書を学部長宛に提出した.
 専任教員を増減する場合,最もわかりやすく,多く引用される評価値の一つがStudent Ratio である.例えば,国公立大学の機械系の場合,1専任教員,1学年あたり受け持つ学生数は,1~4名で平均的には2名程である.機械系私立大学は,5~14名で平均は9名である(1996 年,日本塑性加工学会教育問題委員会調べ).当大学機械工学科では,11.2 名(教員数は26 名,学科学生数は290 名を前提)であり,私立大学の中でも多い部類に属する.参考として慶応大学の機械系は,5.6 名(専任教員39名,学科定員220 名)でかなり少ない部類に入る.
 以上の前提で当大学各学科の比率を計算すると14 学科中,機械工学科は11.2 で最もその比率が高く,ついで建築10.6,通信10.0,電気9.4 である.最も比率の少ない物理学科では機械の1/3 に相当する3.6 である.全学科平均では7.2 である.つまり学生が2割弱(290/1640)を占める機械工学科に,なぜ1割強(26/227)の教員しかいないのか?
 本年度修士課程受け入れの統計(1998 年9 月連絡委員会資料)によれば,一般入試受け入れ枠(原則収容定員+30%)に対して志願者数が上回ったのは機械と建築だけで,両学科とも1.64 倍に達したが全学科の平均倍率は0.56(志願者382 名/受け入れ枠678 名)である.他学科は全て受け入れ枠を大きく下回る合格者数であり全学科の平均は28%(合格者191 名/受け入れ枠678名),最も少ない学科では8%である.すなわちある学科では
100%を収容し,他の学科では8%程度というアンバランスが現実に生じている.
 他学科と同じ授業料を払いながら,機械工学科の場合30 余名の学生(3年,4年,大学院生)が一つの研究室で研究活動をせざるを得ない状態は異常である.また大学院を強化充実しようとしている際に,早稲田を志願する優秀な学生にその門戸を閉ざさなければならない状況は学生および早稲田大学にとって大きな損失である.誰にでも 納得がゆき,わかりやすく,公平な教員配置案を切望したい.
(後日談:本件は各学科の主張がぶつかり暗礁に乗り上げ,その後全く進捗が無かった.その解決は2007 年の学部改革まで待たなければならなかった.)