事務局からの紹介で、「現代化学」8月号の山本啓一氏(細胞生物学者)の記事を紹介します。
山本氏は、蛋白質という言葉が川本幸民の「化学新書」や同じ頃に長崎で書かれた別の本にも出ていることから、蛋白という言葉はもっと前に作られ、蘭学者の間で広まっていたに違いないと考え調査したところ、1810年に藤林普山が編纂した「訳鍵」という蘭和辞書に「蛋白」が出ていることを発見されたそうです。
元になったドイツ語は卵白を意味するそうですが、中国では鳥類の卵だけを蛋と呼んで区別しており、漢学の素養もあった蘭学者は、卵白ではなく蛋白を使ったようです。公式文書は漢文で書かれていた江戸時代に、ドイツ語→オランダ語→日本語と翻訳される過程で蛋白が採用されたのは、ある意味、自然なことであったのかもしれません。