フォーラム記事

ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 物理現象を考えるためには,まず座標軸を決めてから,その方向,プラス・マイナス,大きさが定まる.時々刻々の変化も知ることができる.  私は昭和30 年代後半に早稲田大学に入学した.大方の当時の学生と同じように安保賛成か反対か,自民党か社会党か,米国追随か国連主導か,資本主義か社会主義か,ゲゼルシャフトかゲマインシャフトか,そしてその背景にある哲学,宗教,芸術などの造詣が問われる時代であった.この刺激ある早稲田の校内で「ノンポリ(ポリシーがない,主張がない)」であることは,むしろ勇気のいる時代で,その意味では恵まれた時代でもあった.  私も「革マル的(暴力革命)左翼思想」を排除しつつも,社会民主主義的な国家観に理想を抱くようになった.したがって民間会社に就職したときは,理想のベクトルから資本主義経済体制へ方向転換した後ろめたさも感じた.会社の寮でも同期の仲間と語り合い,悩み,議論を重ねたが,数年するといつのまにか高度成長で驀進する会社の一員として働くようになり,会社が成長するほど,自分の生活が目に見えて豊かになり,かつ今まで虐げられ,最低の生活を余儀なくされた人たちにも仕事が回り,日本全体の底上げが始まったのである.  時折,「あの学生時代に経験したフィーバーは何だったのだろう,そしてあの学生時代からどう自分は変わったのか」と想い返すことがある.当時の猫の髭のように敏感な感性で培われた考えがどう進歩し,いかに変わったのか?これは座標軸にプロットされた学生時代の起点からの現在に至る変化から推し量ることができる.すなわち自分の基軸がある.  翻って,今の学生は自分の座標軸をいかに構築しどこに関心を持ち,先輩,同僚と何を議論し,どのような本を読み,いかなる人生設計,国家観を理想としているのだろう.豊かな環境で考えたことがないと言えばそれまでだが,これだけは自分で構築する以外には解決策はないのだが.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 教員になりたての頃,恩師に女子学生の指導方法をアドヴァイスしてもらったところ「全く心配ない.問題はむしろ男子学生!」との答えにびっくりしたことを今でも覚えている.その教え通り女子学生は授業中の態度もよく,ゼミの宿題もこなし,実験や解析も緻密で,特にプレゼンテーションは物怖じせず男子学生をはるかに凌ぐ.教員とのコミュニケーションもよく自分の考えをしっかり述べる.一方,男子学生の多くは教員との接触を避け,極力目立たないように行動し,研究中もイヤホーンを耳に入れたまま自分だけの世界に引きこもる.自己主張も無く,控えめである.人と対立し,喧嘩することが最も苦手で,教育上こちらが一歩踏み込んだ発言をするとすぐに妥協し同調しようとする.  京大の中西輝政氏は「最近の若者を見ていると,とにかく途方もなくやさしいのである.とりわけ男性のやさしさは気持ちが悪くなるほどである.草食動物が互いに傷を舐めあっているようにしか思えない」さらに続けて「これほどまでにやさしさが全面に露出していると,世間の風は,さぞ冷たかろう,外で働くことなど思いもよらぬほどつらかろう.世界各地の大学や街角で若い男を見てきたが,こんなにやさしいオス達は,もはや別種の動物としか思えない.国中が病気にかかっているようだ」と警告している.  少子化の原因は女性の社会的進出に企業や国の対応が遅れているためと言われて久しいが,結婚を控えた女性からは「男性がやさしいだけであまりにも頼りないから結婚する気になれない」との本音が洩れてくる.  高等動物は例外なく強いオスに雌は群がる.この本性は動物が子孫を残し繁栄させるための絶対条件である.ところが,対等どころか女性にリーダシップを取られることに甘んじているのが現状である.男たるもの「俺について来い.必ずおまえを幸せにしてみせる」との気概を示そうではないか!
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 10 年前,韓国ソウル市の三豊百貨店が突如崩壊し死者5 百名,負傷者1 千名を超す大惨事が起きた.粗悪なコンクリートおよび改築時に中央部分の四本の柱が取り除かれたのが原因であった.  そのとき建築・土木系の教員から「最近は日本も誰もがデザインをやりたがり構造を専門に勉強する学生が少なくて困っている.日本の建物も韓国のような事故がそのうち起こるかもしれない」と嘆かれたことを想い出した.  今回の耐震強度の偽装問題は図面と照らしあえば,基本的なミスはコンピュータに頼らずとも判断できたはずだ.例えば,材料の力学を学んだ学生だったら,材料の直径を小さくすればその2乗,3 乗で安全強度が失われることを知っている.すなわち径が半分になれば支柱の耐荷重は4 分の1,横はりの強度は8 分の1に減少する.その判断力がエンジニアのエンジニアたる所以である.今回の事故はよくありがちなデザインやコンピュータにたよりすぎ,本質を見抜けなかったことが大きな原因である.  さらにもう一つの社会的背景がある.大学の学科は学生の志望で人気が決まり,研究もそのときの時流に左右される.一級建築士は約27 万人,意匠系が大部分で構造を専門とする建築士は1万人,実際に構造を担当できるのはわずかその4 分の1 といわれている.意匠・デザイン系に学生の人気が集中し,複雑な数式を扱う力学や鉄筋・コンクリートのきつい実験を扱う構造系の研究室が敬遠される.さらに昨今では文系の学生にも建築系に受け入れる道も開かれはじめている.この傾向は,意匠系の建築士が社会的に優遇され,構造系は意匠系の下請けとなる実体を学生が敏感に感じ取っているのだろう.  しかし,例えそのような状況であっても「嘘はつかない」「人に迷惑はかけない」「悪いことはお天道様が見ている」が人の道の基本であり,この“たが”が緩んだ社会に日本もついに突入してしまった衝撃の方が私には大きい.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 8月の中旬,米国デトロイトを大学院の学生とともに訪問した.自動車のボディーを成形する3年に1回のコンピュータ・シミュレーション国際学会に出席するためである.この分野は,今も日本と欧米が先端を競っている.  デトロイトは米国のビッグ・スリーといわれる自動車企業の拠点地である.しかしGM本社のある市中心部にかつての繁栄は見る影もなく,人のいないビルや建物を撤去した空き地が多くなっている.ショッピング・センターや,主要企業の事務所もタクシーで30 分以上要する郊外に移ってしまうほどドーナツ化現象が始まっていた.  GMの工場現場では,エンジニアや作業員がよく働いており,生産技術や管理もしっかりしており,必ずしもモラルは低くないとの印象を受けた.一方,クライスラーの本社・テクニカルセンターでは,ペンタゴンに匹敵する建家面積,劇場やホテルを想起させる豪華な空間や施設がある.ものづくりで大切なのは一にも二にも現場・現物であり,その資金をもっと工場につぎ込むべきであろう.  米国トヨタの幹部や商社駐在員は米国の自動車産業の再生にかなり悲観的である.米国鉄鋼業は20 年ほど前から,日本の製鉄会社が総力を挙げて支援してきた.しかし上工程から下工程までの「摺り合わせ型ものづくり」に馴染めず,少し景気が良くなると元のやり方に戻ってしまう.この繰返しにうんざりした日本の鉄鋼業は,数年前に完全に米国から手を引いてしまった.  自動車も鉄鋼業同様これからビッグ・スリーへの日本の支援が拡大されるだろう.しかし,日米双方にとって好ましいことではないが結局は日本や韓国の米国現地企業がビッグ・スリーの穴を埋めせざるを得ないであろう.  それにしても,このような国際学会に米国ビッグ・スリーやヨーロッパ企業が支援し,会議に参加しているのに日本企業のエンニジアの顔が全く見えないのは毎度のことながら残念で致し方ない.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 先日喫茶店で学生と卒論の進め方を議論しているときであった.「この材料はそのままでは弱いけれど,表面を小さな鋼球で雨あられのように叩くと,表面が硬くなるだけでなく圧縮の力が材料にたまり,金属疲労にも強くなる.普通の材料が高級な航空機や自動車部品に変身できる.おもしろいだろう」と話していたら,中年の女性が「会社の技術関係の方ですか? 昨日プロジェクトXでホンダのエンジンのことを放映していましたがおもしろかったですね.お仕事がんばってください」と話しかけてきた.  我々二人を企業の上司と部下と思ったのだろう.一般的に世間のエンジニアへの理解や評価は必ずしも十分ではない.早大でも「理工」よりも「政経」や「法」の文系に優秀な受験者が志願する傾向がある.テレビドラマに出てくる主人公は,会社社長,金融・トレーダー,医者・弁護士は多いが,「も のづくりのエンジニア」に憧れ,格好いい俳優が演じることはまずない.  政治評論家や経済評論家は数多くおり,政治経済について毎日のようにマスコミを賑わしているが,科学・技術評論は滅多にマスコミに姿を現さない.したがってエンジニアの仕事の内容やその夢・やりがいなどはなかなか世間に理解されにくい.ところが最近,「プロジェクトX」や「ガイアの夜明け」,「ETV特集」などのテレビ番組でエンジニアの生々しい働きぶりを紹介する番組が増えてきたことは大変好ましい傾向である.  フランスや中国では理系出身者が国の政治・経済を動かしている.日本の行政も,ものづくりを体験したエンジニアや現場のものづくりを熟知した官僚がハンドリングすれば,毎年「先端技術」の言葉だけを追い求め予算化する愚を犯すこともなくなるだろう.われわれ理系出身者にも責任がある.「黙っていても良いモノは社会に理解される」との認識がある.これは甘い.自分の仕事を真っ当に評価されるよう積極的に社会に,マスコミに発信する努力が必要である.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 ある合唱団の案内に「歌って楽しくない歌は歌わない,聴いて楽しくない歌は歌わない.古典的名曲のこころを上手に表現することだ」とあった.至極当然ではあるがなかなか勇気のある発言である.  12 音階による現代音楽のCD の宣伝に「この曲は世界でも有名な作曲家の作品,聞くのには忍耐がいるが作品の芸術性は極めて高い」と.難解で高尚な芸術性を味わうには忍耐や我慢が必要なのだろうか?芸術はまず直感や感性であり,理論はその感性を深めるためにあると私は考える.はじめから忍耐と努力を重ねてまでも高尚な芸術に触れようとは思わない.  日本では演奏の満足度にかかわらず聴衆は拍手し,社交儀礼であるかのようにアンコールの拍手を送る.本当にそれでよいのだろうか.例えば原爆の悲惨さを歌った現代合唱曲がある.不協和音で叫び続ける演奏は,聴衆の不快感はもとより,長い苦しい練習をその歌い手側にも強いており同情を禁じ得ない.私は我慢ならず,拍手を背に途中で退場した.一方同じ反戦歌でも沖縄戦を歌った森山良子の「さとうきび畑」やジョンバエズによるヴェトナム反戦歌「ウイ・シャル・オーバー・カム」は大衆が容易に口ずさむことができる名曲で,何百倍の反戦効果があるはずだ.  ある百戦錬磨の経済人が「古典芸術も最初はエンターテインメント.歌舞伎は大衆芸能だったし,モーツアルトのオペラも浮気話や痴話げんかのような題材が多い.それが時空を超えて広がり古典になった.今から三百年後のクラシックはビートルズやアニメの宮崎駿監督ではないか」と述べている.  高名な料理人は,客を置き去りにした味を自慢し,芸術的建築家は住人を無視し,建物の移動に傘を必要とする芸術作品で建築賞を狙う.大衆の審眼に目を向けない芸術家は裸の王様となる.苦痛で忍耐のいる芸術に出会ったら,素直にひるまずNO と言おう.わからないことにはわからないとはっきり言う勇気を持とう.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 ある調査によると学生を対象に「授業中ほとんど質問しない理由」として,①周囲が気になる・目立ちたくない・受け身的(37%),②集団への警戒・不信(28%),③自分に意見や疑問が浮かばない(26%)の順番となっている.  私が教員になって最もショックだったのは,学生のこの反応の無さであった.3百人の講義でも,10 人程度のゼミ形式の講義でも,この傾向は変わらない.「自分の授業に魅力がない,あるいは信頼されていないでは」とずいぶん悩んだものである.講義が終わってからも,一人教壇に残って学生からの質問を待ったが,期待したほどではなかった.  演習科目でも,こちらから「解らないところはどこ?」と誘い水をかけないとなかなか質問しない.学生が研究室に相談に来たときも「どうしたの?」と聞かないと自分から話し始めないし,終わっても「もういいかい?」と切り出さないと去ろうとしない.この傾向は就職シーズンを迎えた学年になっても同様で「君の夢は? 何に興味があるか? 社会にどう貢献したい?」の問いに対して,まともな答えが返ってくるのは三割にも満たない.「無いものねだりしても仕方がない」とさじを投げてしまっている教員も多い.  「経済危機」がやっと峠を越えた今,今後このような学生が大量に巣立つ「人材危機」の波が少なくとも十数年は継続するだろう.なぜ若者が受動的・消極的になったかは大学以前の家庭や初等教育まで遡らなければなるまい.それは別の機会に譲るとして,問題は人材の二極化にある.自主性,問題意識,挑戦,社会性などの人間力を備えた優秀な学生は少なからずいるが,むしろ人間力が不足した学生の比率が多くなり,この格差が開くことにある.  企業は特に敏感で,大学名はもちろん,学業成績も横に置いて面接による総合的な人間力を重視するようになった.裏を返せば,専門性は先ず横に置いて,吉田松陰のように若者の全人格を高揚する教育力・使命感を持った資質が大学教員にも要求されるようになるのだろうか.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 私が企業にいたころ,近くの国立大学の先生から「優秀な社員を博士にするときには是非,当大学の博士課程に入学するようお願いします」と奨められたので「博士論文を書くような優秀な社員は,大学に通わせる時間は作れませんよ」と断ると,「毎日,大学に来る必用はありません.仕事の合間に来てもらえば結構です.学会に出席したときも,大学で指導したことにしておきますから・・・」となおも執拗に奨める.「ああ,これは大学院重点化による人集めの一環だな」と察し,受け流していた.  ところが,大学院教育のあり方を論議してきた中央教育審議会は,社会人などが大学院に在籍しないまま論文審査を受けて博士の学位を得るいわゆる「論文博士」の制度を廃止すべきだとの中間報告を最近まとめた.  その理由として「学位は大学の教育課程修了の証明として授与される,学位の国際的な信頼性の確保が必用」と一見もっともらしい理由が並んでいる.確かに論文博士は日本独特の制度ではあるが,毎年の博士号,約1万6千件のうち論文博士が4割近くを占めており,特に人文系では約半数に上るほど,社会で十分機能している制度である.  それでは論文博士は教育が不足し,信頼できないだろうか.私が今まで審査した論文博士は,産業界や研究所で脂の乗り切った30 代から40 代前半の社会人が主で,その論文内容は実産業に直結しており,着実で信頼性の高いデータで構成されている.当然,審査する過程で基礎学問の有無も判断できる.社会での実戦経験が加味されているため,課程内博士に比較して,勝るとも劣ることはまずない.  中教審の答申の実態に合わない改革は,冒頭に述べたように,目的と手段が混同され,課程内博士の員数合わせに翻弄するだけである.そこで私からの提案だが,早大は国立大学の逆を行き「優れた論文博士大歓迎」のキャンペーンをやってみたらどうだろう.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 米国ではノーベル賞級の学者が理科の教科書を作ることもあり,一冊100$以上の価格が一般的である.したがって日本の教科書の厚さ・大きさには世界との大きな差が生じている.私らが執筆した「基礎機械材料学」は,小さいモノクロA5 版2 百頁,2.8 千円である.一方,米国で使用されている大学初学年の「機械材料」の教科書は,多色刷りB5 版相当で千頁前後,価格は1 万円を超える.カラー刷りの図や写真を見ているだけでも楽しい.  日本の出版会社は「今の大学生は3 千円を超えた教科書は買わない.欧米のようなカラー刷りの良心的な教科書を作りたい気持ちはあるが,学生だけでなく教授からも相手にされない」と嘆いていた.  教科書以外に,もっと厳しい現実がある.米国の大学では1週間に6 時間以上の学習時間が80%以上を占めているのに対して,日本では32%以下である.0 時間(全く学習しない)が1割を占める.我が国では大学入学が目的化し,大学で学業を修める本来の目標が喪失しまっている.  なぜ日本の学生は大学入学しても勉強をしないのであろうか? これは学生の問題もあるが,就職に際して学業成績に関心を示さない企業側にも責任がある.まず,採用基準は協調性に始まり,アルバイトやクラブ活動でリーダーシップ経験などが優先され,肝心の成績は重視されない.  筆者の研究室の学生が就職する際,その学生の研究や学業について,指導教授にヒヤリングに来た企業は,大学に勤務していた20 年間で一社もない.また企業のトップを招いて大学で特別講演を依頼する際,「『学業成績は関係ない,要はやる気と体力だ』,との言葉だけは控えてください」と,お願いしている.なぜなら,学生が「社会に出てからは,勉強は関係ない」と誤解してしまうからだ.一方,ハーバード大学の学生といえども,成績が「中の下」以下だったら,グローバル企業は見向きもしないと聞く.
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2020年10月18日
In モトイズム(6)
 この度,有志と一緒に培風館から基礎機械材料学の教科書を出版した.その冒頭で次の様に綴った. 「 なぜ機械工学に材料が必要なのか:機械工学を学ぼうとする諸君は,まずロボットに興味があり,自動車を中心とした環境・エネルギー,あるいはロケットを作りたいとか,航空機など流体に興味がある学生が大半であろう.しかし,機械系の学科に入り「機械材料を勉強しに来た」学生は皆無に近い。確かに,材料を勉強したければ最初から材料系の学科に進学するであろう。実際,機械材料の授業に出席する機械系学生の多くは,卒業に必要な単位を揃えるための一つの科目との気持ちが実情であろう.  ここで,諸君に是非理解して欲しいことは,どのような種類の機械であれ,「材料」を「加工」して作られるという事実である.そのために,諸君は材料の特性を理解し,最適な材料を選択し,設計図通りの形状寸法に加工しなければならない.材料も加工も「ものづくり」には必要不可欠である.しかも,材料・加工技術も日進月歩の進化を遂げていて,最新の情報を的確に吸収しなくてはならない.したがって「機械材料学」も「材料加工学」も,機械系課程に欠くことのできない授業の一つとなっている.  ロボットを作るにしろ,ロケットや人工衛星を作るにしろ,将来それらを設計する立場になる諸君自身が,その機械構造について十分な知識を持った上で材料や加工法を選択し,設計図に指示しなければならない.「熱・流体力学」や,「機械力学」,「材料力学」を駆使してロボット,ロケットや自動車を設計できたとしても,その設計図通りの形状に加工できなければ機械は作れない.  また,材料の特性を理解せずに形だけ作れたとしても,高温に耐えられず,あるいは振動による疲労により使用中に破壊してしまう危険性も残る.「材料や加工特性のすべてを理解した上でなければ機械の設計はできない」ことを十分に理解して欲しい.  材料選択の一例として,ロケットの全体像と各部分に使用されている材料を考えてみよう.ロケットを設計製造するには,Ti合金やセラミックスはどのような性質を有するのか? なぜその材料がその部分に使われているのか? 転位とは何か? 拡散とは何のことか? 自動車を,電子部品をつくる場合でも同様であり,剛性・強度など材料そのものの知識や性質知った上での加工技術の理解が是非とも必要となるのである.  機械材料として最も重要な鉄鋼材料の場合,準備され規格化されている材料は数百種類を下らない,なぜ,それだけの種類を用意する必要があるのか? それぞれの材料は,どこがどのように異なるのか? 何が原因で,性質が異なるのか? その性質は,後で熱が加わったり,力が加わったりしても,決して変化しないものなのか? 銅やアルミニウム,チタンなどの非鉄材料は鉄鋼材料とどう違うのか? 機械技術者としては,それらの性質,その原因,理由を十分理解した上で,設計中の部品にとって最適の材料を選択する能力を身に付けなければならない.  本教科書では,前半に金属,そして後半にセラミック,高分子・複合材料の順に配置した.この分類にしたのは材料の基礎となる原子の配列・相互の結合力がよく似ており,その機械的な性質がよく理解されやすいからである.したがって機械材料を使いこなすためには,材料の表面的な性質を知っただけでは,不十分であり,いわゆる原子構造とその結合,材料物性,材料科学の基本を理解し共通の「ものの考え方」を習得しておく必要がある.途中の金属材料に関する部分は,難しく感じる部分もあるかもしれない.しかし,「さまざまな条件によって材料の性質が変化する」ことを基礎的・統一的に理解し,深めるものであることを附言しておく」.  多くの機械工学科学生が材料にな親しんで欲しいと願い,機械関連の図や写真,コラム(雑談)を多く取り入れている.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 大学院へ進学する学生が年々増加していることは大いに喜ばしい反面,私には不安でもある.欧米では学部4年と大学院2年間は教育期間である.実際に研究にタッチできるのは,その後の博士課程に進学してからである.基礎教育を十分積んでから満を持して研究に挑めるのである.  一方,日本の理工系大学院は,物理,化学,機械,電気等と学問志向の名称から,バイオ,ナノ,マイクロ,ネットワーク,宇宙,生命,環境などと研究分野名を冠した名称へと怒濤のように移行し,基礎力が曖昧の大学院生がこの狭い分野の研究に従事している.これは「大学は教育よりも研究重視!」と世に宣言しているに等しい.求人に来る企業のリクルータ泣かせの名前になっている.  私は,今の大学は産業界から20 年遅れたバブルと見ている.競争資金との名目で国から未曾有の科学研究費が溢れ出ている.この資金を獲得するため多くの大学は「我も我も」とハイテクを標榜する学科を立ち上げ,これに憧れ集まる純真無垢な学生によって辛うじて成り立っているのである.しかし,その資金もいつか底を尽き,少子化がこれに拍車をかけ,バブルが破裂するだろう.この過程で,大学は教育こそがその使命と気づき,本業に回帰する.遠回りだが,それしか道はない.  ノーベル賞を受賞した野依理化学研究所理事長は「戦後大学の付け足しだった大学院が,最終的に人材を世に送り出す高等教育機関へと変わった.しかし,欧米の大学院との差は三役と十両・幕下位の差,これが日本の研究開発力を停滞させている.問題は教員の研究重視,教育軽視これに尽きる.過度に専門化,細分化した研究をするので教育効果が全く不十分,産業界とのミスマッチに繋がっている.広く基礎を叩き込めば応用研究を主とする産業界でも通用するはずだ」と断じている.さすが,よく見ている.
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2020年10月18日
In モトイズム(6)
 現在大学は2006 年問題で頭を痛めていることをご存じであろうか.平成11 年度の文部省学習指導要領の改訂,平成15 年度からの実施により,高校の学習内容が大幅に削減された結果,例えば数学では大学教育に必須な行列,複素数平面,平面幾何が大幅に簡略化され,微積分に至っては簡単な二次式程度に制限されてしまった.  高等教育の最後の砦が大学であり,削減された教育のしわ寄せが2006 年度新入生から津波のように押し寄せてくるのである.そのため,大学では今その補講や授業科目改訂準備に,大わらわなのである.予備校の講師を招聘せざるを得ないとする案も出ているほどである.文科省は世界の水準を下回る共通試験結果や,世間から沸き起こった非難により「指導要領は下限値であり上乗せができる,土曜日の授業も学校の自主性に任せる」などと実質的な方針転換をした.だが水の流れのように一端下限に目標を設定したらどっと易きにつくのが人の常である.育ち盛りの若いときには確固たる信念を持って,「読み書きそろばん」である基礎教育を徹底化しなければ,社会で実力を発揮する機会と道具を失ってしまう.  歌舞伎俳優の六代目尾上菊五郎の語録に「一部の先生が弟子に向かって心で演技しろという.しかし必要最低限の技術を体得しない段階で心の演技などできるわけがない.多くの技術を一つ一つ丹念に確実に身につけ,きちんと演技すれば,それ相応の芸を表現できるものだ」とある.写真家土門拳は「感動的な写真は永年練り上げた基本的撮影技術を的確に駆使することにより,高度化され深遠なものになる」と述べている.  いろはも基礎もわからないうちから,生きる力が大切と銘打ってゆとり教育を推進した罪はあまりにも重い.基礎教育は地味であり教員に大変な労力を必要とする.私も「ゆとり教育」の誘惑に負けないよう日々自戒しなければならない.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 7~8 年前から機械工学科の全教員で今後の機械工学のあり方を議論してきた.機械工学は医学や生物学,人工知能,ヒューマノイドロボット,ひいては環境・社会科学分野にまで応用分野が拡大,研究領域がきわめて多岐にわたってきた.その結果,同じ学科にさまざまな研究・教育理念が混在し始めた.そこで長い議論の末,自らの判断でそれぞれの研究・教育理念に基づき,本来の機械工学を継承する「機械科学・航空学科(機航)」(学生定員150 名)と,伝統的機械工学にこだわらず,研究領域を一層拡大させる「総合機械工学科(総機)」(学生定員140 名)に再編することを教員全員で決意した.  第3者が見れば,当然両方が必要であり,分割する必要性は無いと考えるであろう.しかし,両者の研究方針はともかく,教育方針で大きな差異が生じ,このままでは科目設定や人事が成立しないところまで来てしまった.総機はPBL 教育を理想としている.これはプロジェクト(P)をベース(B)に学ぶ(L)方法で,与えられた課題・プロジェクトに,興味を持たせながら学生に学ばせる方式である.米国の大学で多く採用されていると聞く.  一方,機航はまず数学・物理・力学の基礎をしっかり学ばせ,その後に課題に挑戦させる伝統的な教育方針に基づいている.機航では卒論・修論の無い米国の学部教育では,PBL が適するだろうが日本ではこれが卒修論で既に機能していると見ている.  その優劣は別として,両方針は対極にあり教育面における教員の共存は大変困難になってきた.前向きに考えれば,同じキャンパス内に二つの機械系学科の切磋琢磨も期待するところ大である.  私の属する機械科学・航空学科の「機械科学」とは自然の摂理に基づいた科学(Science)的思考を大切にするとの考えを表し,同時にその応用学術分野である機械工学(MechanicalEngineering)を核に据え,物理・数学を基盤とした材料力学・流体力学・熱力学およびメカニックス(力学)などの機械系基幹学術分野を教育研究することを本学科の基本理念とした.  あえて「航空」を学科名に冠したのは,高校生受けを狙った面も多少あるが,テーブルクロスを中央で引き上げるとクロス全体が浮き上がるように,機械系の学術を極限まで深化させた技術が航空・宇宙と考えたからである.その研ぎ澄まされた学術から誘発される技術連鎖・波及効果を最大限に生かすことが目標である.  さあ,両機械工学科の競争により,どちらが生き残るか?それとも両学科ともに発展するか?当事者である私自身も大いに楽しみにしている.
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ksaitoh
2020年10月18日
In モトイズム(6)
 大学間の学術交流と日系企業の視察が目的でこの冬休みを利用してタイ国を訪問した.ここでは自動車産業がこの数年間に年率30%の伸びを示し,今では年産100 万台規模に発展している.タイ国政府もバンコク周辺を東洋のデトロイトと位置づけており,積極的に外国企業を誘致している.  自動車産業を発展途上国で展開する方法としては,部品を輸入し現地で組立てる方法と,部品産業を含めて全てを現地で生産する方法がある.欧米諸国はほとんどが部品を母国から輸入し組立てる方式をとっている.一方トヨタやホンダなどの日系企業は,上流の部品産業と一緒に進出しており,価格競争力のみならず現地の雇用や地域発展などで日系企業グループは多大な貢献をしている.  さて,その上流の部品を造る素材はどうなっているのであろうか?「タイにも素材産業はあるが,自動車には全く使えない.日本から取り寄せる素材の価格は高いが品質,機能,高信頼性を考えれば結局安くつく」という答えが返ってきた.例えば自動車用,電子・デジタル機器用ベアリングの素材はほとんど日本の鉄鋼製品を取り寄せている.一定の品質で,表面の欠陥が格段に少なく,かつ部品の寿命も数十倍になる.欧米から自動車の技術を導入した昭和30 年代,日本の技術者は歯を食いしばって国産の材料・部品を日本で生産することにこだわった.それが今の日本の繁栄に繋がった.  ロケット・航空機や自動車の故障・事故も突き詰めれば材料の欠陥やその機能不足に結びつく.素材は先進諸国や中国との競争から断トツに勝ち抜く重要な技術である.しかしそれとは裏腹に,最近は材料関連学科への若者の志望率が極めて悪く,他の学科への吸収や廃止が増えて来ている.  日本の足腰を当たり前のように支えてきた「ものづくりを支える素材技術」がじわりじわりと弱体化していることに,警鐘を鳴らしながら教育研究している毎日である.
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