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フォーラム記事

Keiko Nakase
2020年12月06日
In 日本のものづくりは大丈夫か
  6章まで日本の幕末・明治維新の主としてエンジニアリング藩士、および戦後の無から、ものづくり起業を立ち上げてきた個人の思いと実践を主体に、その歴史を辿って来た。7章では、このまま移行すれば、日本および日本のものづくりに未来がないことを、データを参照しながら推論してきた。そこで8章では、どうしたら日本、日本のものづくりは再生できるのかをポジティブに私見を提案した。ご意見・ご批判を頂けたら幸いである。
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Keiko Nakase
2020年12月06日
In モトイズム(10)
                      早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  「浅川研究室運営に学生から不満が寄せられましたのでご連絡しておきます。最近、このような不満や訴えが学生から多く当課としても大忙しです。」と理工事務所から連絡があった。浅川研究室では、総務・会計・工場見学・懇親会・図書・部屋の整理整頓など主として院1年生が役割分担して、研究室運営を15 年以上継続してきた。ある時、事務所に「浅川研では学生に研究室の仕事を押し付ける。その仕事は社会に出てからのトレーニングにも役立つとも言う。室の雑用は学生に強要しな いでほしい」との訴えがあった。そこで、私を抜きに浅川研院1年生・院2年生の学生のみ11名で話し合って、今後の研究室の運営方針について考えてもらうことにした。その結果、現状の室運営で問題ないとの意見が多かった。ただし、一部の意見として仕事の結果だけでなく、そのプロセスや結果のフィードバックについても配慮すべきとのコメントが あったと報告を受けた。  私には研究室における役割分担仕事は、社会に出てから最も役にたったとの経験がある。例えば、大学院1年の時に恩師の10周年記念パーティーの幹事を引く受けた。会場の設定、先輩との幹事会準備と議事進行、OB への案内状の配布、記念文集の編集、当日の式次第、運営などの作業の忙殺された。しかし、この経験が会社に入ってからの「仕事プロジェクト」に大いに役に立った。エンジニアらしい設計・研究・開発業務などは、その後しばらく経ってから与えられる。今では、恩師から記念行事の幹事役を与えられたことに感謝している。ただし、一部の学生に不満があったことも事実であり、学生に趣旨を納得してもらいながら室運営をして行くことにしたい。「最近このような不満や訴えが学生から多く当課としても大忙しです。」と事務職員が語るように、なんでも外部へ訴える風潮に複雑な思いは残る。
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Keiko Nakase
2020年12月06日
In モトイズム(10)
                      早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  本日はご多忙の中、「早稲田大学機械工学科・機友会創設100周年記念式典にご来場いただき誠にありがとうございます。また、ご来賓の方々には大変示唆に富むご講演・ご祝辞を賜り厚 く感謝申し上げます.最後に機械教員および機友会を代表致し まして閉会のご挨拶をさせていただきます。さて、今後100 年、機械工学はどのように変遷して行くのでしょうか? 10年先の予見すら難しい時代ですが、そのヒントになるのが先達の生き様やその歴史を紐解くことと考えます。ここで「早大理工」の「理」と「工」について、あらためてご紹介したいと思います。まず、漢字「工」は諸説がありますが、上の横線は「天からの恵みであるエネルギーや資源」を表し、下に伸びる横線は「地上にある社会・人類」を表し、上から下の縦線はその天から地へ恵みを与えるための「ワザ・技術」を意味するとも言われております。次に「理」の語源は掘り出したままの原石である「あらたま」を磨いて美しい模様を出すことであります。したがって、早稲田における「理工」とは、「工を理する」すなわち「工学を科学的に昇華・普遍化させること」であり、「理学と工学を併設した意味ではない」と理工100年史に記述されております。理工科と称しながら、まず工学系の機械科と電気科が最初に創設された意味もこれで納得できます。経済も一時は「財」を「理」する「理財」と呼ばれていたと聞き及んでいます。初代理工科長の阪田貞一先生は1908年の早稲田学報で「理工科では数学・物理・力学・英語が必須。大学予科の間に十分鍛え上げる必要がある」さらに「理工在学中に原理を十分に研究すれば、社会に出てから著しく進歩する」と100年前から今を予見しておりました。すなわち、基幹・基盤であり今後とも深める部分、その周りにその時代時代に於いて変遷して行く学問・産業があります。先ほど「工」の語源を説明しましたが、これは機械工学の定義と同じです。すなわちMechanics とは「エネルギーや資源を活用して有用な「仕組み」、「物」を作り出すこと」にあります。機械工学は特定の産業分野に偏りが無く、建設・土木から電気・ 情報・サービスに至るあらゆる産業に展開できる点に大きな特徴があります。すなわち口幅ったい言い方になりますが、機械 工学は理工系全体を俯瞰する「理工学部理工学科」と称してもよい立ち位置にあります。以上をまとめますと、①教育面では「数学・物理・機械系専門学力などにおける深い造詣の涵養」であります。産業界で貢献する機械系エンジニア、大学を含めた研究機関等で顕著な成果をあげている研究者に共通する要素は、「基礎に裏打ちされた構想力、ならびにこれを具体化する設計能力・実行力」にあります。②この主旨に沿えば、研究も「基盤的研究を深化させ、これに支えられた先進的研究の追求」が必須となります。この考えに「ぶれ」がなければ100年後も機械工学はますます発展して行くものと確信しております。今後とも私どもは過去の先人に負けないよう高い志を持って機械教員、在校生、機友会が手を携えて邁進する決意であります。簡単ですがこれをもって閉会のご挨拶に代えさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。
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Keiko Nakase
2020年12月06日
In モトイズム(10)
                      早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  現在ハワイにおります。METAL FORMINGの学会がなぜハワイでやるのかよくわかりませんが・・・ハワイはお母さんと昭和50年に新婚旅行できました。当時宿泊したシェラトンホテルは全く変わっておらず、懐かしく感じました。オレンジジュースがほっぺたが落ちるほど旨いと感じたのも、アラモアナショッピングセンターで見た牛肉の大きさ、安さも当時の日本では考えられずびっくりでした。気温は20℃から30℃ですが、からっとしていて大変過ごしやすい陽気です。コンドミアムホテルですので、台所付きで自分で料理も可能です。遠くですが、ワイキキの海も見えます。ゆったりと一日が流れて行く毎日です。  ある日スターバックスで朝食を採っていましたら、60歳過ぎの品の良い中年の紳士が話しかけてきました。娘が富山県にいること。鎌倉に別荘があり年に2回ほど日本に滞在していること。このビルの上階で不動産業を営んでおり、まあまあ繁盛していることなど話しました。 家族の話題から話しが発展して、経済・政治・世界情勢、そして最後には日本の防衛問題迄に発展しました。彼は「日本は米国に頼らずに独自の防衛力を持つべきである。日本は今の 実力にみあった真の意味の独立国になるべきだ。米国もそれを希望しているはずだ」語っていました。同世代であり、ほとんどの思考が私が日頃考えてきた見方と同じで、同年代の日本人と話しを交わしているような印象でした。あっという間に2時間ほどが過ぎて行きました。目的のない散策ではこのような出会いもあるのですね。
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Keiko Nakase
2020年12月06日
In モトイズム(10)
                      早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  日本人もあまり知られていないが、日本の大学進学率は 53% 前後で、OECD 先進国平均より7ポイント程度低く、最低部類に属する。日本では大学進学者のうち理工系が 2 割強しかいない。先進国では最低でも4割、韓国・ドイツでは2/3を超えている。日本の場合、文科系進学者の多くが高校2年以降、数系の訓練を受けていない点が大きな問題である。これは中学・高校の数学の教え方に難点があるからだ。特に文理に関係なく、虚数や行列・微積分・統計学・Excel 活用による実計算法などが、いかに社会に出てから役に立つかを高校時代から教え込むべきだ。そのためには、数学を興味ある授業とするために工学系出身者(実務経験者)が教師になることが極めて大切であると考えている。このように日本の理工系大学では、絶対数が少ないうえに2000 年以降から情報やバイオに学生の人気が集中し、ものづくり産業の核である機械・電気・材料系に優秀な人材が、ますます集まりにくくなっており、ものづくり産業を根底から揺るがしている。大学でのものづくりの教育・研究は極めて大切である。筆者は、今から40 年前に企業の企画部に在籍し、「米国の鉄鋼業はなぜ衰退したか」を調査する機会を得た。結論は「①優秀な人材が鉄鋼業に来なくなり金融界にシフトした,②鉄鋼業が設備投資しなくなった」の2点に集約された。40年後の現在、日本の鉄鋼業のみならず、ものづくり業界がまさにこの罠に陥ってしまいつつある。
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Keiko Nakase
2020年12月06日
In モトイズム(10)
                      早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  「先生はときどき『愚直』と言葉にされますがその意味がよくわかりません。調べたところ、『正直すぎて気のきかないこと。馬鹿正直な姿』とありました。しかし、それを想像することができません。どのような生き方が愚直なのでしょうか?」とある学生が相談に来た。 愚直とは今若者にもてはやされている「最小の努力で最大の効果を挙げる」とは正反対の生き方である。愚直も死語になってきたのかと一抹の寂しさを感じる。ものづくりは現場の真面目で正直な仕事の繰り返し・積み重ねであり、その結果世界で抜きん出た技術力に昇華した。要領の良さとか、抜け目のなさとは無関係である。私の年代はゆとり教育推進者から批判された「受験、受験の詰め込み教育」世代であったが、勉強する習慣だけは何とかついたことに感謝している。上司や先輩に「過去の文献を読み込み一度は溺れろ!そしてそこから這い上がれ!」と育てられた。一方、ゆとり教育では授業時間が少ないので「暗記」しない と短期間で大学入試に対応できない。数学も物理も暗記、高校物理の教科書には数式がめっきり少なくなってしまった。それでも物理を選択する学生が激減し、生物や化学など暗記主体の受験科目に流れる。数学の記述文章問題は暗記では太刀打ちできない。数学の論理展開力は国語読解力とも深く関連している。体系的な積み重ねに基づいた知識・教養を醸成する習慣が無くなってしまった諸君!徹底的に愚直に勉強してみないか!仲間で読書会を作ってじっくり基礎科目をやり直してみないか! 専門書を読み込んでみないか!著名人が語る講演に出かけてみ ないか!一生の内でこれほど勉学に打ち込んだことはなかった との思い出を学生時代に作らないか!抜け目の無さ(clever)よりも、賢さ(smart)よりも、愚直(foolishly)で行こう! Steve Jobs もスタンフォードの卒業式で“Stay Hungry. Stay Foolish” と言っているではないか!
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Keiko Nakase
2020年12月06日
In モトイズム(10)
                      早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  怒りなさい。叱りなさい。どやしつけなさい。言い方に気を配るなどさらさら必要ありません。あなたの言葉でダメなものはダメだと言いなさい。なぜ叱ると身に付くか。それは誰も辛いからである。辛いものは心身にこたえるし、よく効くのだ。人が人を叱るのに空気を読む必要などさらさらない。」と伊集院 静氏(大人の流儀)は語っている。人が相手であると、人権や個性が立ちはだかり、なかなか叱りにくい。例えば子犬の仕付けに置き換えてみたらどうだろう。犬の個性を尊重しやりたいように任せたら、犬は自分が主人だと思ってしまい、要求が通るまで飼い主に吠え続け、どうしようもないわがままな犬になるだろう。人と犬とは「社会性を躾る」点においてどこに差があるだろうか。  会社でも新人を一刻も早く一人前に育て、仕事をこなしてもらい、本人の成長も期待したい。企業の若手研修会に招かれ「上司・先輩から鍛えられているか?叱られているか?」と問うとほとんどの新人が首をかしげる。中堅のエンジニアに「部下を叱っているか?」と問うと「叱る自信がない。自分のことで忙しい。訴えられそう。心の病が心配」と消極的である。特に部下が心身異常を来し、自分や会社に跳ね返ることを極度に恐れている。私が学生を叱るのは「このままで社会に出たら本人は潰れる」と感じたときだ。その際は自動的に「叱る弁」が開く。多くは「基礎学力の欠如」と「非常識」に集約される。叱る際には空気を読むことも忘れて心から叱っている自分を発見する。ただし、心の病が起きそうな学生には怒られ上手な学生に怒りの 矛先を向け、暗に本人に反省を促すようにしている。また、本人の先輩を叱ることも効果的だ。久しぶりに卒業生と会うと「あのときはこんなことを言われてショックでした」と言われることがあるが、自分は全く覚えていない。本人が立派に成長したので、忘れるのも致し方ないと自分なりに言い訳している。
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Keiko Nakase
2020年12月06日
In モトイズム(10)
                      早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  モトイズムを読ませて頂きました。浅川教授の人間性が垣間見れる文章でした。教授という立場で生徒を上から見るのではなく、生徒を主役として、生徒の本来の才能を引き出すために一緒になって物事を考える親身な姿勢が表れている文章でした。私自身、ゆとり教育で育ち、なんとなく大学に入学し世間からいいと言われている企業に就職した人間です。今は自分の仕事に誇りを持っておりますし、日々お客様に喜んでいただけるよう勉強に励み、お客様と会話し考え…毎日充実していて幸せですが、もしも学生時代に戻れて浅川教授と出会えていたら私の人生は 180 度違うものだったのかなと考えました。教授の生徒さんは、なさん幸せ者だと思います。100年続いている学科だけに浅川教授も誇りを持って生徒さんと接していらっしゃるのでしょうね。  私の好きな項目を2つ挙げさせていただきます。①コミュニケーション能力とは「聞き手が主役、聞き手が神様」というフレーズが出てきますよね?。私自身新人研修で同じことを学びましたので、そのときのことが鮮明に思い出されました。モトイズムの中の「基本に返れ」ではないですが、学生でも社会人でもこの行動は必須だと感じます。② 若いときの人との出会い:私は一人っ子なので、幼少のころから家族に周囲の人間を大事にしなさいと教えられてきました。家族の教えを守って…というわけではないですが、人との出会い・かかわり方は常に何事よりも意識しているつもりです。なので、この項目は若輩者の意見ではございますが、「うん、うん」と共感できる部分があって好きです。「3つの出会いの影響力が40代、50代の分別盛りになってくるにつけ、冷酒のようにきいてくる」このフレーズにとても興味がわきます。年齢を重ねていくことが楽しみになってきます。そういえば、わたしはまだ、第三の出会いにめぐり会っていませんでした。まずはそこからですね。
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Keiko Nakase
2020年12月06日
In モトイズム(10)
                      早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  浅川研究室で電源開発株式会社(J パワー)の技術者をお招きし、3/11 の地震・津波と原子力発電立地について地質学者の観点から講演して頂いた。その中で東北電力女川と東京電力福島の原子力発電の際だった差異がまことに深刻であったし、興味深かった。東北電力には地質に造詣の深い技術者が東京電力に比較して多く,立地や地盤・地震・津波にはことのほか注意深いそうだ。女川原発が福島第一原発とは対照的に大事故に至らなかった理 由の一つとして、東北で生まれ育ち東北電力副社長まで務められた土木技術者の平井弥之助氏の尽力が大きいという。彼は、東北電力の女川原子力発電所の建設(1968年)に際して「海岸施設研究委員会」に参画し、869 年の貞観地震級の大津波に備えるために敷地を 14.8 メートルの高台に設けることを強く主張した。さらに引き波時に海底が露出する事態に備えて取水を確保する工夫も講じている。その結果、3月の女川原発は大事故を免れた。 女川原発以外にも新潟火力発電所の建設の際に軟弱地盤の液状化対策として、当時最大級のケーソンを埋め込んだ上に建物を建てたため、新潟火力発電所は1964年に発生したマグニチュード7.5の新潟地震を持ちこたえられたという。いずれにしても「公的に認められた方法で求めた津波高さの想定値」に対して、「それしか対策しなかった」とした会社と、「それとは別に独自の判断で対策を強化した」会社との違いが明暗を分けることになった。  危機を救うのは1人の人間である。反対に危機を作り出すのも1人の人間である。カシオの電卓、旧国鉄の新幹線、日本の半導体プロジェクト、シャープの液晶、住金の油井管、東レの炭素繊維、トヨタのハイブリッド自動車、アップルのアイフォーンのように世界を代表する新製品・新技術を誕生させた会社には、必ず自説を頑として主張して曲げない特定の個人がいた はずである。東電には残念ながら人を得ていなかった。国の発展も衰退も特定のリーダーがその国にいたか、いなかったかにかかっている。
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Keiko Nakase
2020年12月06日
In モトイズム(10)
                      早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  早稲田大学理工学術院とエアバス社との包括協定に基づく活動の一環として、エアバス・セミナーが開催されている。セミ ナーは毎回、エアバスから講師をお招きし、エアバス社の概要、戦略から航空機技術について若い学生に講演してもらっている。戦後、ばらく日本では航空機産業がGHQより制限されていた。日本が独立を果たしてからしばらくして航空機産業の再興を図るため、昭和三十四年(1959年)6月特殊法人・日本航空機製造株式会社が資本金5億円で設立された。政府3億円・民間出資2億円の政府・通産省主導の国策半官企業の特殊法人であった。民間は新三菱重工(現三菱重工業)・川崎航空機(現川崎重工業)・ 富士重工業(現 SUBARU)・新明和工業・日本飛行機・昭和飛行機工業・住友精密工業の7社の連合体である。通産省の航空機武器課長である赤澤璋一は「日本の空を日本の翼で」というキャッチ コピーで推進したのは特筆されるが、幹部も一般職も官庁から天下りであった。日本航空機製造株式会社は、学生時代の筆者の就職先候補の一つであった。その時の就職担当の先生から「大手の寄り合い所帯で働くのが難しい会社だ。就職先としてはどうかな?」とアドヴァイスをもらったことを覚えている。民間から出向した社員も出資母体の会社を気にしながら仕事をしているため、統率からほど遠い組織形態となり、結果的に技術偏重の体質、慢性的な赤字状態などから初めから民間旅客機メーカーの体を成していなかった。その結果、昭和四十八年(1973年)に、通算181機(民需は145機)で生産を終了、会社は累積赤字約 360 億円を残して解散することになった。  一方、エアバス社の設立は1970年12月で日本航空機製造よりも10年も遅い発進であった。当初は、最初に完成したA300はノウハウ不足から航続距離不足や信頼性不足などを指摘され、売上は苦戦し膨大な赤字を抱えた。そこでフランスと西ドイツ政府は全面的な支援に乗り出した。それをきっかけに技術力を大幅に高めた A320 でエアバスは大成功を収めた。近年はアメリカのボー イングと社と市場を二分する巨大航空機メーカーに発展した。中国の航空機業界が発展しつつある今、日本航空機製造が中途半端な形で挫折したのが悔まれてならない。日本の航空機業界は鉄鋼や自動車のように、傑出したリーダーに恵まれなかったのは残念の極みである。
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Keiko Nakase
2020年10月24日
In モトイズム(7)
 中国のある大学では日曜日に開館していた図書館を閉鎖したとの新聞記事が出ていた。平日はもちろん、日曜日の夜遅くまで 図書館で勉強や読書に専念するため、健康を害する学生が続出したことがその理由らしい。一方、本大学の理工図書館(文献資料室)はいつ行っても閑散としている。17時過ぎはどこを見回しても人影が無く、やや身の危険すら感じるほどである。本部キャンパスにある中央図書館にはさすが学生はいるが、いつ行っても席に困ることはない。理工キャンパスから離れている中央図書館には、入ったこともなければどこにあるかも知らない学生が多くいる。いわんや国立国会図書館など夢のまた夢であろう。彼らの勉学場所は、おしゃべりや気楽な態度で過ごせる食堂や学生ラウンジである。試験の前になると学生で一杯になり、勉学環境は一変している。専門理工系科目以外に、歴史・芸術・文学・経済・社会の研鑽を積んでいるのか考えるとそれもかなり疑わしい。読書よりも携帯端末に費やす時間が圧倒的に多いと思われる。  ルソーは「人間は2度生まれる。誕生のときと青春ときだ」と言っている。こんな青春でいいのだろうか! “忌憚無く言わしめれば、今日学生諸君はだいたい読書せぬのではないかと私は考えている。学校のノートと教科書以外殆ど何も読まぬ諸君が多いのではないかと思ふ。また時々学生諸君の生計調査などで発表されるところを見ても,読書の風は甚だしく希薄であることを示すと共に、読むにしても単なる娯楽雑誌の類が多く文化水準の低いことを表してゐる。” 以上は末川博氏(後の立命館大学総長)が1942年中央公論に掲載した論評である。当時は国立大学18 校で学生数 2.8 万人、私立大学25校で4.3 万人の時代である。まさに大学生がエリートであった時代であったはずだ。だから諸君も「あまり心配しないでいい」とは言わないが・・・
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Keiko Nakase
2020年10月23日
In モトイズム(7)
 吉村昭の「戦艦武蔵」は長崎造船所で、厳重な機密を保ちながらの巨艦建造は人間格闘劇であり、ページをめくるたびに息詰まる思いに駆られる。同じく「破獄」は犯罪史上未曾有である4度の脱獄を実行した無期刑囚の看守との駆け引き、そして交流の人間像を描いており、一気に読ませてくれる。5度目の破獄をあきらめたのは、技術的な難しさより、「自分にチャレンジする意欲がなくなったから」との語りには考えさせるものがある。城山三郎の「落日燃ゆ」は戦争回避に努力しながらも、文官としてはただ一人A級戦犯として処刑された元首相の広田弘毅を 描いた小説である。当時、なぜ広田が処刑されるのかは大きな議論が巻き起こった。しかし、広田は一切の言い訳はせず、その結果責任を取って潔く散っていった。清廉な人柄で愛された石田禮助が78歳で国鉄総裁に招かれた小説「粗にして野だが卑ではない」は、題名通り多くの人を感動させた。金とか地位などにこだわらず、やりたいことを果敢に実行する粗であり野であることにこだわった人生を礼賛している。  両者に共通するのは、組織の中で「志し高く生きる人間」に迫 っている点である。政治家の高額な事務諸費に対する恥ずかしくて聞くに耐えない答弁や「お金儲けがなぜ悪いのか」「人の心はお金で買える」など冗談でも聞きたくない言葉だ。ライブドア元社長の「自分は知らなかった。忙しくて部下の仕事まで把握できない」など大学のサークルまがいの言い訳で誠に情けない。私の身近な大学でも、教員の研究費不正使用や、学生が単位を落とした。就職が決まっている,何とかしてと泣きついてくる卑しい状況がある。吉村や城山の共通している点は人間組織における「高い志」である。残念なことに、昨年吉村昭が逝き、先日城山三郎も追うように身罷った。「高い志し」も逝かないように、もう一度我々は「志しの質」を再点検しないといけない。
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Keiko Nakase
2020年10月23日
In モトイズム(7)
 以前、塾の教師から「早大学院と慶応高校両方受かったら、面倒見が良い慶応をお奨めします。学院は放任教育で修学旅行すらありません」と諭され、七割が慶応に進学していったショックを今でも忘れない。早稲田に赴任してきた十年前、大学受験でも慶応優位のデータ に接し「どうして」と唖然とした。この危機に際し当時の総長は、まさに命がけで早稲田の改革を進めていた。遅れること数年、理工学部の改革も理念と実行力のある学部長が選ばれスタートを切った。雑居ビルと酷評された既存の学科と専攻を理工百年の歴史を書き換える三理工学部構想にまとめ果敢に実行に移した。今回の改革では名前だけでなく中身の改革にまで踏み込んだ。再編で解消した学科、新しく生まれた学科、二つに分離再編した学科、学部全体で一括入学させ二年生進学時に学科を選択する学部も現れた。内容改革の典型例が理工系英語である。役に立つ技術英語を標語に、英語論文の執筆、英語でのプレゼンテーション、英語で質 疑応答を教育するため理系出身のネイティブを含めた専任教員で中枢を固め、カリキュラムも大幅に実用技術英語にシフトした。学生からは高校の焼き直し英語との悪評が一変して大好評である。危機を迎えた早稲田大学に、よき総長・学部長を得たことも幸運であった。  さて、芸大のある教授は「日本の音楽家はテクニックにばかり走り、中味は子供のままである。そのため世界的に大成しない」と嘆いている。理工系大卒の弱点も哲学、文学、歴史、芸術など教養に暗い「専門馬鹿」を生み出しがちなことである。これは高校を含めた日本の教養教育の劣化に問題があり、今後の大きな課題である。同時に事前に社会経験をさせ、将来の行く末をにらんだ勉学の動機付けも必須である。
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Keiko Nakase
2020年10月23日
In モトイズム(7)
 「硫黄島からの手紙」の映画が話題になっている。太平洋戦争末期に小笠原諸島の硫黄島において日本軍は2万名が戦死。米軍は戦傷死3万名の大損害を双方に出し、後世の歴史に残る大戦闘として知られている。この映画は米国留学の経験を持ち、米軍の物量と戦略の威力を誰よりも知っていた栗林陸軍中将の「硫黄島 からの手紙」をもとにしている。さて、話は変わるが「メレヨン島」の名をご存じであろうか。硫黄島より、さらに遠い日本から2千8百キロのミクロネシア諸島の一部である。最大でも周囲8キロ、標高1メ-トル程度の珊 瑚礁からなる8つほどの小さな島々から成り立っている。そこになんと7千人の日本守備隊が昭和19年4月から配置され始めた。しかし、同年7月にサイパンが陥落してからは、7千人の兵力を維持する物資や食料が完全に断たれてしまった。珊瑚礁の地面を少し掘ると海水が湧き出るほどの痩せた土地で、小さな南瓜がやっと得られる程度の島である。飢餓による体力の衰弱とともにデング熱、アメーバー赤痢によりばたばたと守備隊が倒れはじめ7千人のうち終戦まで5千人が飢餓と病魔により「戦病死」して行った。硫黄島やサイパン、グアムは守備隊が果敢に戦って「戦死」することができたという意味ではまだ救われる。    しかし、メレヨン島は日本にも米国にも見放され、一回の戦闘もせず大部分の戦士が飢餓と病魔でその命を奪われたのである。「補給・兵たん軽視、作戦参謀の独断、精神主義への傾斜」と戦後、山のような反省がなされてきた。  しかし、60年経過した今でも正しい情報の収集と、物・金・人を定量化した戦略・戦術 は日本ではまともに起動しているとは言えない。私の父がメレヨン島で病没したのは昭和20年2月、31歳のときであった。硫黄島のような「メレヨン島からの手紙」は、未だ私の手元には届いていない。
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Keiko Nakase
2020年10月23日
In モトイズム(7)
 鳴海(Hon Hai)精密工業をご存じであろうか。売上高3兆円、営業利益2千億円、年率30%の成長をしている台湾の新興企業である。電子産業を席巻している典型的なEMS企業で数百万台のiPodも現在受託生産している。一方、日本のS社は高性能で小型な電子機器を武器に、戦後日本を代表する超優良企業に成長した。しかし、部品やものづくりの工場をEMS 企業に外注・委託を進め過ぎ、結果的に工場の技術力や技術者の意欲を低下させることになり、創業以来の厳しい経営が続いている。台湾企業である鳴海の好調と日本企業であるS社の不振が好対照である。戦後、欧米から技術導入した昭和30年代、日本の研究技術者は歯を食いしばって材料・部品から国内で生産することにこだわった。台湾や中国は素材や部品を外部から購入し、現地組立ての技術を導入する「組立てものづくり」である。日本は「材料・部 品ものづくり」である。この違いは大きく、材料や部品を核としたものづくりへのこだわりこそが基礎・基盤から日本の産業を飛躍的に発展させることに繋がった。ものづくりは料理とよく似ている。  研究・技術者は調理するシェフであり、素材は食材である。シェフと食材が両立しないと美味い料理はできない。料理の腕も突き詰めれば「材料(食材)と 加工(調理)」で成り立っており、容易に他人がまねできない。結局、素材がよく腕の良い料理店に人は多く集まる。鳴海の利潤は日本のオリジナル技術から生み出されている。S 社も経営陣が交替し、再度国内の製造工場とものづくり技術者に焦点をあて直している。材料と加工は日本の「ものづくり」の核心でもある。その生産技術を「日本発」としている限り、日本は世界をリードできると確信している。  しかし残念に思うことがある。なぜ数年の間に数兆円の規模に発展し大きな利潤をあげるものづくり会社が六本木ヒルズあたりで、生まれないのであろうかと。
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Keiko Nakase
2020年10月23日
In モトイズム(7)
 孤高は強さの源泉であるが、孤立は弱さの象徴である。いじめも子供の孤立化がその底辺にあると私は見ている。いじめは昔からあった。腕力と智力のあるガキ大将がクラスを仕切り、先生にも生徒にもいじめる側といじめられる側がわかり、対策も打ちやすかった。一方、生徒が互いに孤立し、無関心になっている今は、いじめる側といじめられる側が見えない。当然、この孤立・無関心現象は大学にも年々色濃く反映している。例えば、教科書を学生が事前に自習し、その達成度を教員によるグループ試問でチェックする授業が40年間続いてきた。卒業生からは「役に立つ授業」と高い評価を得てきたのだが、5年ほど前に中止せざるを得なくなった。学生間の事前学習が成り立たず、孤立したままの無手勝流で試問に臨むようになり、授業が成り立たなくなったからである。また、実験科目では、Aグループと同じ質問を翌週のB グループの各学生に試問してもさっぱり答えられなくなった。以前は試問の内容が翌週のグループに即座に伝わり、同一の試問ではほとんどの学生がパスしてしまったのに、実験・実習後のプレゼンテーションにおいても、個々が得た結果をまとめただけの発表になってしまう。特にグループ活動が基本となる研究室生活や、卒論では研究指導以前の「共同作業のやり方」を手取り足取り教えることが大学教員の大きな仕事になってきている。60 年前の敗戦は痛手であったが、その10 年後には「もはや戦後ではない」と言われるほどハード的な面での回復は早かった。  しかし、戦後の核家族化、地域社会の崩壊、過敏な権利意識と規範のゆるみ等、ソフト的な面での激変と、昨今の少子化は日本の歴史上経験したことのない根の深い構造問題としてとり残されたままである。この重症患者に、仮に今から治療を始めたとしても、今後数十年は要するだろう。評論家ではなく現場をあずかる我々教員としては、現時点での崩れた石をできるところから積み直していくしかない。
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Keiko Nakase
2020年10月23日
In モトイズム(7)
 中国の経済発展は目を見張るものがある。雑貨・軽工業から始まり,鉄鋼・鉄道・機械・パソコン・携帯電話、そして自動車に至るまで日本のものづくり技術に迫り,航空・宇宙や軍事技術の一部では既に日本を凌駕したともいわれている。  中国の歴史を紐解くと、すでに6千年前に作られた硬いヒスイ から底付き円筒状の玉器が発掘されている。金属製の工具がない時代にどのようにして美麗に研磨され,精細な模様が付けられたのだろうか。3千年前には細かな唐草模様の透かし彫りを基調とした酒壺 が青銅で作られている。これは、現在ジェットエンジンのタービンブレードを鋳造する最先端のロストワックス(原型に蝋などを用いその周りを砂で固めた後、蝋を溶かし抜いた空間に青銅の湯を流す)が、既に、この時代に実用化されていたと考えられる。兵馬俑から発見された2千年前の御者と馬車の模型では、その手綱が引抜き加工された金糸・銀糸の細線で撚られ、その端部は溶接で結ばれている。 中国のものづくりが数千年にわたり高度な加工技術として伝承されていたころの日本では、縄文・弥生の土器造りの時代が続いていた。中国のものづくり遺伝子は、明・清の時代および閉鎖的な共産主義時代に途絶えてしまった。その間に日本刀に代表されるように徒弟制度による人から人への技術伝承を基本とした日本独自の文化とものづくりを基盤に、明治維新で極めて短期間に西洋文明を移入・昇華し中国を追い越すことができた。言い換えれば高度技術の知識や経験を教育し、共有し、伝承しないと遺伝子はたちまち息絶えてしまう。  昨今の日本はものづくりの中核であった団塊の世代が一線から退くとともに、まじめに働く価値観が揺らぎ、技術系志望の若者が減り、金儲けや安易な転職の風潮が強まっている。中国のものづくり遺伝子が目覚めつつある今、教育問題と併行して「ものづくり日本」を真剣に再興しなければならない。
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Keiko Nakase
2020年10月23日
In モトイズム(7)
 近頃、学校給食費の滞納が多くなったと聞いて、いよいよ「私 が経験したあの昭和30年代の貧しさの再来か?」と一瞬頭をよぎり、当時小学生であった頃を想い出した。家が貧しく、給食費を払い込む時期になると決まって学校を休んでしまう仲間がいた。その頃の貧乏は、今では想像を絶する極貧である。今にも崩れかけるようなあばら屋で、割れたガラスは板張りで埋め、部屋は昼間でも暗い。本人は何日も風呂に入っていないため、肌は垢で汚れ、衣服もみすぼらしく、教科書代や遠足の費用も払えるはずがないことは小学生でもすぐにわかる。家が近くの私が「給食代はいいから学校に来なさいって先生が言ってたよ」と迎えに行くことがしばしばであった。ところが、最近の給食費滞納は払えないのではなく、払わない。 払いたくない親が多くなったことが実情との報告を聞いて愕然とした。未納の親からは「給食費を払わなくとも、給食費を止められたことはない」、「学校が勝手に給食を提供している」などの答えが返ってきたそうだ。  かつて、私の息子が「年金を払っても、自分に見返りがないので支払いをやめたい」と言うので、私は「年金を支払うのは国民の義務。義務を果たせないのなら、今後一切日本国に世話にならず、文句も言うな」と叱ったことがある。 夫を戦争でなくした私の母は「私より貧しい人は沢山いる。税金を払うことは私のささやかな誇り」と、決して生活保護を受けなかった。昭和30年代当時はそのような誇りが生き甲斐でもあった。貧しくとも人間の誇り,規範、家族のふれ合いの大切さを描き、映画賞を総なめした「ALWAYS 三丁目の夕日」を、社会規 範意識が希薄となり、反比例して権利意識が濃厚となった今の若い人やその親の世代に是非見てもらいと思っている。給食費を「払えない」と「払わない」の違いはたった一字だが、気が遠くなるほどの意識の差がある。
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Keiko Nakase
2020年10月23日
In モトイズム(7)
 私の研究は「塑性加工学」である。世間になじみが薄く、一般紙に記事として掲載されることはほとんどない。地方で学会を開催したとき「蘇生学会」と会場の看板に書かれ苦笑したことがある。塑性加工は鉄鋼・金属、重工、自動車、航空機などの部品を、削り屑無しに低コストで強靱化する技術で「ものづくり」の基盤 を支えている。そのため私の研究室には大企業だけでなく大田区や葛飾区にある中小・零細企業から研究依頼が舞い込む。大企業 でも年間百万円、中小・零細企業から五十万円ほどの研究費を頂けるのがやっとである。キーワードがいわゆる先端研究からほど遠い圧延・金型・鍛 造・プレスなどのため文科省の科研費がなかなか当たらない。科研費取得に長けている先生からのご指南を受け「環境」「ナノテク」「先進材料」「デジタル化」など,気恥ずかしくなる用語をちりばめたところ、かろうじて数百万円の科研費を射止めることができた。研究費が少ないと、研究者は大学の工作機械を動かし工夫しながら手作りで市価の十分の一ほどの実験道具を組み立てるようになる。この過程で研究者の研究・教育効果も得られ一挙両得である。一方、研究費が潤沢過ぎると、研究者はメーカに機械を直接発注・購入し、出来合いの装置を操作するだけになりがちである。数年前から科学技術研究予算は、重点分野に毎年数兆円単位で配分されるようになった。研究者のモラルが大切なことは論を待たないが、特定の研究者にすぐには使い切れないほどの研究費が集中豪雨のように配分されたことも不正流用の一因である。  ところで、最近チョット憂鬱なことがある。バブル経済後の日本の低迷を国が反省し「やはり日本はものづくりが大切」と軌道 修正、私の専門分野に近い「金型,鍛造,プレス」などに研究費が重点配分されはじめたのだ。この分野は少額でも良いから、永続的にこつこつ継続することこそが大切で重点配分はなじまない。
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Keiko Nakase
2020年10月23日
In モトイズム(7)
 私の所属する機械工学科では、以前から比較的就職には恵まれてきたが、最近大変気になっていることがある。数年前N社が何と学科の一割に相当する学生を根こそぎ採用、去年C 社も同様な採用をした。両社とも自由応募制のため大学側は最終段階まで採用状況が把握できない。学科の同期が数十名も同じ会社に入社するなど異常である。この危機感から、人事部に問い合わせたところ自由応募のため大学ごとの採用数は人事でも蓋を開けるまでわからなかったとの返事であった。  一方、T社は大学による推薦制のため毎年十名強と抑制の効いた採用を続けているが、そのT社への就職希望者はいつもその5倍を超える応募者がある。毎年上位50社に70%の学生が集中する状況である。その結果、一般には知られていないが「知る人ぞ知る」企業には学生がなかなか目を向けない。「超一流企業に就職できて羨ましい」と外部からいわれるが、現在人気がピークの会社は彼らが部課長になる頃も超一流とは限らない。過去の砂糖・石炭・造船・鉄鋼業へと変遷した事例が示すように、ブランド大学の学生が大挙して就職し始めたら、その企業は頂点を迎えた証拠ともいわれる。先ほどのT社は数少ない自己抑制しながら学生を採用している企業であるが「我が社の製品に興味を抱くより、有名企業だから就職希望する学生が多くなった」と危機感を滲ませている。  学生に最も欠けているのは業界の歴史と現実的な情報である。マスコミや手近な情報をそのまま鵜呑みにしてしまう。そこで、私は日本を支えている「ものづくり会社」を大学に招いてパネルディスカッションを開催したり、多少の偏見は覚悟で「私が推奨する業界・企業30社」を学生に毎年広報している。同時に、家庭においてもブランド志向や子供を身近に置きたいとの母性的視点だけでなく、バランス感覚のある就職・人生設計を 父性的立場からアドヴァイスすることが極めて大切と考えている。
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Keiko Nakase

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