フォーラム記事

折田 伸昭
2021年6月07日
In 未来塾メンバーの論文・著作
立命館大学 高梨 千賀子 ◆Recommend:communities-of-practiceというモデルが技術者の肌感覚にぴったりなのですが、それがうまくいったということを明快に示した論文というのはなかなか無いです。(塾生より) ◆執筆者より:PCの汎用インターフェース規格として開発されたIEEE1394とUSB。なぜIEEE1394が消えUSBが生き残ったのか、ガバナンスメカニズムの視点から分析してみました。(Chikako Takanashi)
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折田 伸昭
2021年6月07日
In 未来塾メンバーの論文・著作
立命館大学 高梨 千賀子 ◆Recommend:標準化戦略方面で、たくさん業績残されています。分かりやすい研究論文です。(塾生より) ◆執筆者より:ボッシュと三菱電機のオープンプラットフォーム戦略が新興国で有効に機能するメカニズムとそのための主要要件を導出しました。(高梨千賀子)
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  早稲田大学における小保方氏の博士論文が問題視されている.報告書によると「最終的な博士論文を製本すべきところ,誤って公聴会前の段階の博士論文を製本してしまった」「適切な指導が行われていなかった」と指摘があり,文字通りに判断すれば「取り下げ」が妥当で常識的な判断である.  例えば私の専門の塑性加工の分野で新原理・現象・方法が生み出された場合,まず研究室内で「独創的か? 過去の文献は十分チェックされているか? 構成は論理的か? 再現性があるか?」が問われ,その段階で研究者は殆どボロボロになる.そこをクリアーしたら,次に外部学会発表,その道の専門家から研究室内以上の厳しく的を得た質問が飛ぶ.その後,推敲にに推敲を重ねやっと投稿論文提出となるが,通常は「論文として不適・却下」となる.この指弾を乗り越えた論文のみが採用され,初めて世に認められる.一般の研究発表が上記のような過程を踏むので博士論文にであれば,これ以上のチェックが入る.  小保方氏の指導教員であるT 先生は微生物を用いた環境改善が専門であり,生命医科学は専門外である.これが先進技術や先端学問領域の怖さで,技術の進展が早く指導教員が実質的に指導できない事態となる.翻って,自分が指導教員として博士論文 を担当したときはどうか? まず専門外であったら自分は主査にならない.主査となったら一字一句まで論文をチェックする.「誤って草稿段階の博士論文を製本」させることなどあり得ない.なぜなら,その後も教室会議,公聴会,審査分科会など多くの先生や専門家の目が光るからだ.  T 先生と私は1996 年に早稲田大学に奉職した同期である.彼が当時31 才,私は52 才であった.自分の研究室が整うまでの3ヶ月間,仮の研究室で2人同室であった.私は産業会から,彼は国の研究機関から転職した経緯から,お互いの問題や悩みやをよく話あった.その後分野が違うため接する機会が少なかったが,今年の1月末,マスコミで小保方氏の学部時代の指導教員だったT 先生が脚光を浴びるようになり,「小保方さんは,いろいろな専門家に恐れず質問し,突破口を開いていく姿勢があった」との報道に接したのだが・・・残念である.
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  このたび,100 年以上の伝統ある機友会会長のご指名をいただきました.その任の重さに耐えうるかはなはだ心許ないですが,就任した以上は精一杯機友会の発展に尽力する所存ですので,皆様のご協力を宜しくお願い致します.  総合機械工学科の学生は1年生からほぼ100%機友会会員になります.一方,機械科学・航空学科では2年生から学科に所属するため,機友会の入会が30%と低迷していましたが,度重なる事務局からの広報により入会率が70%近くに向上しました.また,OB においても会費未納会員への働きかけ,会員のデーターベース更新,機友会サポート費の定着化が進んできました.  現役OB には見習い中の20 代,独り立ちする30 代,成功体験と責任を背負う40 代,会社経営と専門職としての50~60 代に区分できます.このような現役OB の資産を活用して,例えば年代ごと,あるいは年代を混在させて現役学生と討論する場を設け,「進路の悩み,働くことの意味,生き方,さらには人生観」を語り合えば学生にとって具体的に将来を考えるトリガーになるかもしれませんし,現役OB も20 代学生の感性や考え方に触れ,腰を抜かすほど驚くかもしれませんし,自分がいかに固定観念に縛られていたかを見いだす場になるかもしれません.一言で言えば,双方向の 「人間見学会」を機友会で企画したらどうでしょう.  また,教員と現役が接する場として「単位取り直し・やり直し講座」を開催するのは如何でしょう.金属材料をもう一度やり直して勉強したい,流体力学・材料力学・熱力学も,さらには電気・物理・数学も,と必要に迫られているバリバリOB が大勢いるはずです.講習費用をポケットマネー程度とすれば,私費での参加も可能ですし,今さら会社では聞けない質問をすることも懇談会の場でできるでしょう.  同じような主旨で大学とOB を繋ぐ「技術難題駆け込み寺」の場を機友会が担っても良いでしょう.これが縁で教員・大学とのプロジェクトや共同研究に発展する機会があるかもしれません.  誤解を恐れず言えば今までは「役に立つ機友会」の視点が欠けていたと思われます.「面白い」,「刺激が得られる」,「自分の為になる」などの企画が増えれば,機友会に価値を認めるOB が多くなり,結果的に会費納入率も向上するでしょう.「一波わずかに動いて万波随う」の故事にならって,わずかではありますが一波を動かしてみようではありませんか!ご協力をお願い致します.
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  本田宗一郎は明治三十九年(1906 年)生誕し,平成三年(1991年)85 歳で死去した.彼の本格的スタートは2 輪車である.ホンダカブF 型は5 昭和二十四年(1952 年)に発売された自転車用補助エンジンである.自転車後輪をドライブチェーンにより駆動する方式で,2 サイクル単気筒,排気量 49.9cm3,最高出力 1 PS の性能を有した.アルミダイキャスト,プレス部品などを時代に先駆けて積極的に取り入れ,当時最軽量の 6kg を達成した.白いタンクと赤いエンジンのユニークなデザインから多くの庶民から支持された歴史的な機械といえる.  本田宗一郎は以前から4 輪自動車も自分の手で造りたいとの強い「思い」があった.昭和三十六年(1961 年),特定産業振興法により官僚が産業政策を立案,業界の指導に乗り出し,自動車業界を量産車メーカー・特殊車メーカー・ミニカーメーカーの3グループに再編成するとした.  これにすぐさま反発,通産省企業局長・佐橋滋と鋭く対立した.「ずばりお尋ねします.本田技研は四輪車を作るな,そうおっしゃるのですね」,「まあ,はっきり言ってしまえばそういうこと.アメリカのビッグ3に対抗するには日本の自動車メーカーなど二,三社でいい.新規参入を許す意味も必要もない.ホンダは二輪車だけで企業を存続していけばよい」,「ふざけるなあっ!うちの株主でもないあんた方に,四輪車を作るなと指図されるいわれはないっ!」,「あなたはフォードやGMに勝つ自信がおあり?」,「あるに決まっているでしょう.俺がもし自動車で日の丸を揚げたときには,お前は切腹するぐらいの覚悟をしておけ!」  その後の展開は本田の「思い」が実り,現在のHONDA の隆盛を導いた.自動車業界で自由経済を信奉するリーダーは斯くの如く戦ったのである.
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  豊田喜一郎をモデルにして,ドラマ「LEADERS( リーダーズ)」が,TBS にて放映された.喜一郎は明治二十六年(1894 年)に豊田佐吉の長男として生まれ,昭和二十七年(1952 年)に58 歳で死去した.喜一郎には「いつかは国産の自動車を造りたい」との強い「思い」があり,父の豊田自動織機製作所内に個人研究所を設け,昭和五年(1930 年)に4馬力の小型エンジンを開発した.昭和八年(1933 年)彼が33 歳のとき自動車部を開設した.そして試作工場と製鋼所を設け,昭和十五年(1940 年)豊田製鋼株式会社とした.現在の愛知製鋼株式会社の誕生である.その間,現・豊田市に 58 万坪の大衆乗用車の量産工場用敷地の買収,昭和十二年(1937 年)自動車部がトヨタ自動車工業株式会社(トヨタ自工) として自動織機製作所から独立した.  戦後昭和二十五年(1950 年)トヨタ自動車販売を設立したが,トヨタ の事業は低迷し賃金の遅配・カットにより労働争議が発生し,喜一郎は責任をとって同年6月社長を辞任した.しかし自動車はその機構・製造方法だけでなく材料と部品が大切との豊田喜一郎の「思い」が功を奏し,その後世界をリードする企業に発展した.  私はトヨタが今日の隆盛に結びついた一因が,自動車には部品,特に素材となる材鉄鋼材料が重要で,これを国産化しないと自動車の将来はないと喝破したことにあると思っている.
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  早稲田大学基幹理工学部に入学おめでとうございます.数ある大学の中から早稲田を選び,数ある学部の中から基幹理工学部を選択された諸君の慧眼に心から敬意を表します.  早大理工は他の大部分の学部のように理学部と工学部を単に結びつけた名称の理工ではありません.大隈重信は「工を理する」を意味する理工科と命名し,「工を基礎から磨き上げる理が大切」と喝破していたのです.いわば基幹理工学部の精神そのものです.慶応大学理工学部の前身である藤原工業大学の初代学部長の谷村中将は,出身の軍から「すぐに役に立つ人材を出せ」と要請された際、「すぐに役に立つ人材はすぐに役に立たなくなる」と軍部を諫め,断りました.彼も基礎教育の重要性を説いた創立者でした.  皆さんの多くは,世の中で喧伝されている最も先進の研究をしたい,最先端技術の企業に就職し役に立ちたいと思い,早大理工を志願したはずです.その気持ちは大切ですし,いつまでも忘れないで欲しいと願っています.ただし,それを実現するためにも若いときの数学・物理など「理学」の研鑽が極めて大切です.役に立つ科目はいつでも勉強できます.まずはじっくり基幹理工学部で基礎教養を身につけて欲しいと思っています.  私は28 年間ほど企業経験をして早稲田に参りましたが,会社で一流の研究者・エンジニアの共通点は専門のみならず数学・物理などの基礎教養の深いことです.したがって,例えば,機械系の部署から材料系,電気電子系,システム情報系と部署が変わったとしても1年もたたないうちにその職場に慣れ,仕事ができるようになります.それは若いうちに基礎教養を研鑽していたからに他なりません.現在の企業では技術の組み合わせだけの商品開発は限界に達し,物理の根元まで立ち返らないと世界に太刀打ちできる新商品は生まれないと言われています.  基幹理工学部は1年次で,文系科目も含めた基礎教養科目に真剣に取り組んでおります.またこれらは若いときでないと身に付きません.私も3月末で退職致しましたが,若いとき不勉強であった数学・物理をもう一度勉強し直そうと思っております.それが楽しみでもあります.皆さんのご研鑽を期待しています.本日は誠におめでとうございます.
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  大隈侯が主唱する「学問の独立」とはいったいどのような意味が込められているのだろうか.筆者も「わかったようでわかっていないモヤモヤした概念」であった.ここで,大隈の残した資料から「学問の独立」について改めて考えてみよう.  「ペルリが来航して以来,洋学が流行しはじめた.私も西洋の事情を勉強した一人だ.御維新後,種々の学校ができ,おもに西洋の学問をさせた.西洋の最も進んだものを日本に持って来て,『西洋の学問は必要だ,すべての学問は西洋でなければならぬ』という訳で,その中には独逸派,英国派,亜米利加派などいろいろ出来た.政治家,法律家.軍人においても,派が出来るようになった.教育は実に大切である.しかし,その土台を組立てるための教育に独自の根底がない.『外国の方法に依って日本人が教育される』とは実に恐るべきことだ.これではいけない.国の独立が危ない.どうしても学問は独立させなければいけない.  ここで,ロシアの例を出そう.ピョートル大帝という不世出の英主が,西方ヨーロッパの文明を導こうとして,あらゆる学術・文芸をロシアに導き入れた.ロシアにも初めは日本と同じく方々の国の学問で溢れた.不充分ながらロシアの学問を以て大学校が5~6 校できてきた.そこでピョートル大帝はロシア語を以てあらゆる高尚の学術(サイエンス)を教えるよう指示したのである.教科書は皆ロシア語で書いたものだ.その実これはゲルマン人や英国人や方々の国の人達が書いた本であるかも知れぬが,それをロシア語に直して教えている.即ちロシアの国民をロシア語で以てロシアの大学校で教えているのである.二年も経たない間にロシアの学問は独立をしたのである.日本にそういうものがあるか? どうも無かったのである.これではいけない.それ故にどうかしてこの日本語を以て充分高尚の学科を教えるところの学校をこしらえることが必要である.中には随分過激な論もあって,『日本語を英語にしてしまえ』などという論者もあり,あるいは仮名の会とか,ローマ字会とか,種々雑多なものが起ったのである.なるほど日本の文章は不充分,文字は不都合だ.かくの如き不充分さで,この複雑なる最も高尚なる「サイエンス」というものを理解することが出来るか,解釈することが出来るか,という疑いを世間は持っておったのである.日本人の文章を以てこれを充分に解釈することが出来ぬという訳ならば,日本の国は危ないが,決してそういう道理はない.その証拠に,かつて千三百年前にインドから大乗とか天台とかいうような,実に驚くべき高尚な哲学が日本に導かれた時に,日本の言葉はまだ不充分であった.それでもその高尚な仏学を皆理解した.支那人より一層よく理解した.日本の不充分なる言葉と文章で以て,高尚なる仏学を日本人は解釈したのである.えらい力だ.それ故に私は決して今日の如何なる高尚の学問も日本の文字と言葉で言直すことが出来ぬ道理はないと思う.それ故に充分に学者達がそこに力を致したならば,必ず日本の学問はあらゆる教科書を皆日本の文字で,日本語で講義をすることが出来る.それから進んで著述をし,あるいはまた無いというものは翻訳をすれば必ず出来ることと考えたから,即ち私は“学問の独立”ということを大胆にも唱えたのである.理科即ち物理学は,私はどうしても学問の土台となるものと考えたのである.ところがこの私立学校で,なかんずくこの理科にはどうもあまり社会が注意してくれぬ.そうしてなかなか理科は金が要る.入費が要る.どうも貧乏なる学校では続かぬ.それから教師が来てくれぬ.そこでこの理科は初陣に失敗をしたのである.この理科の失敗は千歳の遺憾である.理科どころではない.それから工科もやはりやられなかった.即ちこの邦語でやるという大胆な企ては,まず始めに政治・法律それと理科というものを置いた.だが,なかなか工科とかその他のものへ及ぶところではなかった」  このように大隈は,日本語による授業を打ち出した.当時は,学界を代表する東京帝国大学や私学でも,日本人の教授らも英語で講義を行っていた.法律学も時にはドイツ語でも講じられた.学問の自主性を確立する観点から,日本語による講義の必要性を説いたのである.その後,帝大でも英語による授業を廃止し,日本語で講義が行われるようになった.  大隈らの東京専門学校(後の早稲田大学)を立ち上げた際に,「一国の独立は国民の独立に基づき,国民の独立はその精神の独立に根ざすとし,国民精神の独立は,『実に学問の独立』に由る」(開校式における小野梓の演説)と宣し,何よりも「学問の独立」をその建学精神としたのである.  この「学問の独立」は極めて重要な示唆を現在の教育に与えている.特に理工学系大学では,グローバル化推進のため,英語による講義に関心が注がれていているが,日本語で講義することの大切さを主張したのが,大隈の“学問の独立”なのである.
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  新橋‐横浜間の鉄道は,着工からわずか一年半後の明治四年(1887 年)9 月に完成した.当時のスピード感は今では考えられないほど素早い.  大隈家は代々砲術家として佐賀・鍋島家に仕えていた.父・信保も藩命で長崎に警護のために赴任していた.大隈は,家業とも言える砲術にとって重要な数学(算術)の訓練を受け,さらに,佐賀藩の開明派のエンジニア藩主・鍋島直正のもとで薫陶を受けた.また米国の宣教師であり機械工学のエンジニアであったフルベッキに学び,若い時には理系の学問やエンジニアの素養を育んでいた.そのため,数字に強くなり,理系藩士としての道を歩んできたといえよう.  明治五年(1872 年)10 月,当時の人びとにとって耳慣れないかん高い音が東京の空に響いた.一号機関車が新橋駅から,横浜駅に向けて出発したのである.日本の鉄道が初声をあげた瞬間である. 鉄道が文明開化の先兵であるとするならば,まさにこの場所から始まったともいい.  伊藤と渋沢は,いずれも若き日に海外で鉄道を見聞した強烈な鉄道への「思い」があった.明治二年(1869 年),大隈・伊藤らがイギリス公使パークスらと会談し,その場で鉄道の建設を即決した.決して思いつきではなく,満を持しての決断であった.このとき、大隈31 歳,伊藤28 歳,そして渋沢は29 歳である.すぐさま,築地梁山泊と呼ばれた大隈の家に開明派官僚が結集,彼らとともに少壮の意気に燃えて3 人が勇躍,仕事にとりかかった.日本の鉄道建設の曙である.  高輪付近や,今の横浜のあたりは,海の上に鉄道を敷設した.それは全線の3 分の1 に及んだ.トラックや重機などまだ無い時代に埋め立て,線路を敷設したのである.鉄道を住宅街の傍に敷設する計画ではあったが,当時の日本人にとって蒸気機関車は未知で魔物とされ,多くの反対運動があった.西郷隆盛や大久保利通も時期尚早として反対していた.高輪付近でも海上に築かれた堤防の上に線路が敷設された.なぜだろうか? その原因は西郷隆盛にある.薩摩藩邸のある高輪付近は「軍事上必要であるから手放せない」との理由で,陸地の測量が許可されなかった.鉄道敷設を急いでいた大隈は「エエイ!それなら陸蒸気(おかじょうき)を海に通せ!」と指示,薩摩藩邸などがあった芝・品川付近を避け,海辺に線路を敷くことになった.「浜松町駅を潜るように道路が海側に向かって下降しているのは,そのあたりが海の波打ち際であったから」と高低差の好きな「ブラタモリ」でも紹介している.  鉄道建設に賛成ではなかった大久保利道が試乗した.この試乗で彼の考えが一変した.「実に百聞一見にしかず.愉快にたえず.この便をおこさずんば必ず国を起こすことあたわざるべし」との感想を漏らしている.  新政府になって,欧米の植民地にならないよう,日本の独立と近代化の象徴である鉄道事業を推進したのは大隈と伊藤博文,そして渋沢栄一であった.  その速さは鉄道だけではない.土地制度改革・税制改革・陸軍海軍の設立・義務教育制の実施・人身売買禁止令・太陽暦の採用・国立第一銀行の設立・徴兵制公布・四民平等制の実施・断髪令・郵便制度の改革・電信の開始・ガス灯の設置など…である.世に「文明開化」と呼ばれる主要な事業を,たった一年余の間で計画し,実行してしまったのである.一人の力で政治が動く訳ではないが,政府の中心にいた大隈の実行力は驚くべきものである.大隈が今の政治状況を見たらどう思うだろうか?
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  このたびは皆さんと一緒に大学を巣立つことになりました一コマ7千円で皆さんにおなじみの浅川です.これから就職する方、進学する方に産業界を28 年経験した先輩として一言贈る言葉を申し述べたいと思います.  会社で多くの仲間と仕事をしてきた経験から,会社員は3つのタイプに分類できます.まず「半人前の人」,次に「一人前の人」,そして最後は「一流の人」です.半人前の人は往々にして「半人前である」との自覚がないため,会社生活を閉じるまで半人前で終わることが多々あります。「一人前の人」とはとりあえず右から左へ仕事がこなせる人です。大部分の会社員はこのタイプです。それでは一流の人とはどのような人でしょうか? 私は「仕事や技術を原理原則まで突き詰め本質を捉えることができる人」と考えております.  皆さんに実感でできるように学生時代の「材料力学」の学習事例で考えてみましょう。最も基本的な「応力」と「荷重」の区別ができない人は「半人前」,あるはそれ以下かもしれません。「応力」を「荷重を断面積で割った値」として理解する人は「一人前の人」に近いといえるでしょう.一方,「応力をテンソル」,「荷重・断面積をベクトル」とらえ,スカラー・ベクトル・テンソルの物理量として常に俯瞰して捉えることができる人は「一流の人」に近いといえるでしょう.  会社の仕事も同じです.一流の人になるためには技術の原理・原則に遡る研鑽が必要となります.例えば週末に90 分だけ自分の研鑽の時間として費やしたとしましょう.15 週,すなわち3ヶ月強で大学の一科目分が習得できるのです.1 年で3 科目分に相当します.3 年経てば10 科目を超える研鑽量になります.そうなれば仕事は良い方向に循環をします.まず,その分野の造詣が深くなるので成果を挙げられるだけでなく,技術の本質を捉えることができるため仕事仲間からの相談に的確に答えられますし,社内の信頼も高まります.こうなると仕事が楽しくなり,月曜日の朝が待ち遠しくなります.  最近では仕事と私生活を峻別させ,仕事は生活の糧を得る手段と割り切る人がおりますが,大変もったいないと思います.仕事はつらいことも多いですが,人生で最大の充実感を与えてくれるのも仕事です.1回かぎりの人生です.皆さんにはまず「一人前の人」,さらに「一流の人」になって人生をエンジョイして欲しいと念願します.  手帳に貼ってあるはずの「鉄鋼の平衡状態図」の下に“一人前の人と一流に人”とメモっていただけたら幸いです.ご卒業おめでとうございます.ご静聴ありがとうございます.
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  小学校時代から家族一緒にラジオ放送の落語を聞くのが楽しみであった.特に古今亭志ん生は絶品であった.話し始めは小さな声で聞こえにくいので,「何を話してるんだろう?」と耳をそばだてる.話の内容もさることながら間の取り方がすばらしい.「おまえさんは毎日何をしてんだい.少しは稼ぎに行きなよ!」・・・「しかたねえじゃないか.することがねーんだから」.この「・・・」の間の取り方によって女将さんから怒られた腹立ちと自分へのやるせなさの気持ちが表れている.また本筋の話だけでなく,時々脇道にそれたアドリブのネタを披露するのも聴衆を飽きさせない.「やること半人前,言うことは一人前,女郎買いは三人前!」などとと畳みかけ笑いを誘う.  落語は講義の参考になる.講義前の私語や騒がしさを収めるのに大声での注意よりも,志ん生のように小さな声で講義を始めると急速に静かになる.講義の中では時折本筋からそれたネタを披露すると眠っていた学生がガバッと起きるし,こちらもリフレッシュできる.  教室はいつも後席から埋まって行く.後ろや両サイドは目立ちにくい.しかし,運転中の助手席に座っている状況と同じで講義が身に付かない.そこで「最後席に座っている学生に質問するので覚悟しておくように」と宣言し実行すると,しばらくたって次第に前の席も埋まり始める.  講義では自分の研究や業績の自慢話は避け,自分が失敗した経験を話す.経験のない若者は失敗を極端に恐れており,耳をそばだてて失敗談を聞こうとする.自慢話などは年齢に関係なく聞きたくないものだ.  質問は出ないものとあきらめてはならない.大人数クラスでは講義終了後,5分ほど教壇に立ち続ければ,おずおずと質問にやって来る学生もいる.この質問が次回の肥やしになる.少人数クラスでは,講義終了後,質問しなかった学生の氏名を読み上げる.3 ケ月ほどすると全員から質問が出るようになる.  重要な話は講義のはじめにまとめて伝達する.例えば,本日講義する重要なキーワード,試験問題の範囲,読むべき参考書などである.そうすれば遅刻する学生は自分の不利益を身をもって体験する.  最後に最も重要なことがある.それは初回の講義である.自分流の講義の進め方・レジメの配布方法だけでなく,私語や遅刻・授業の態度に厳しく毅然と対応する姿勢を見せることである.学生は最初の講義で先生を値踏みし,「楽勝」科目か否かを判断しているから・・・
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  教室会議で最終講義の有無の案内が来たので,「私はやらない」と返事をしたところ,若手の先生から「浅川先生がやらない前例を作るとその後の人もやりにくくなるから,是非やって欲しい」との要請があった.そこで,学生相手の最終講義は変わり映えがしないので,焦点を社会人にあてた内容に絞った.おかげさまで57 号館の大教室に250 名を超える多彩な聴衆の前での最終講義となった.出席者の感想から講義の雰囲気を感じ取ってもらったら幸いである.  元住金の上司: 居眠りする人もなく 大変よく考えられたシナリオで聴衆を飽きさせなかったのは お見事でした.浅川研究室は人気が高かったそうですがその秘訣が分かりましたよ.今後も完全引退でなく教育分野で貢献して下さい.新幹線の車内から.  機械工学科同期の仲間:浅川君の住金時代から,早稲田に戻って次第に先生らしくなって行く過程がよく判った.二日酔いのため,最後の晴舞台で居眠りをしちゃまずいなと思いつつ最終講義を拝聴したが,眠る暇もなく聞き入ってしまった.あんなに話術がうまく,3 次元でのヴィジュアルな説明も素晴らしく感動したよ.  趣味の仲間:大変重みのあるお話をユーモアたっぷり楽しく聞かせていただきありがとうございました.教育生活18 年と言うか人生70 年の思いを1時間余りでお話しするのは大変だったと思います.配布資料のモトイズムを読み合わせると話をされた内容の重みがさらに良く分ります.これからもぜひ後進の人たちのご指導をよろしくお願いします.  ボランティア仲間:講義を楽しませていただきました.ストーリー展開の鮮やかさ,語りの品格を保ったままくすぐりを入れる絶妙の間合い,味わい深い浅川節でした.「塑」の字の解説からスタートした塑性加工のお話も,視覚から入って感覚的にわかる,なるほど!という発見に満ちた楽しい内容でした.「小学校の同級生から住金時代の同僚,共同研究者,学会の同僚・先輩,浅川研のOB,現役,そして学生の親御さんまで,多彩なバックグラウンドの方々が集まっているので話の焦点が合わないことを最初にお断りして・・・」と講義開始前に挨拶されましたが,会場は講義に引き込まれ,随所で温かい共感の笑いが起こり,お祝い感一杯でした.“企業経験28 年,大学生活18 年”,塑性加工は50 年!を締めくくる,練り上げられた講義を拝聴しながら,新たな時空で展開される浅川節を今後とも楽しみにしています.  小学校の仲間:金属塑性加工は全くの専門外でしたが,いろいろな新しい加工方法・シミュレーションの内容は非常に面白く,私のノートにはメモがたくさん書き込まれました.金属加工自体の歴史は古いのでしょうが,金属の組成レベルで可視化できることにようになったことで近年になってもまだまだ新たな発見があるのだと感じました.「頭の良さよりも頭の強さ」、「深は新なり、新は深ならず」なかなか良い言葉です。おまけに「モトイズム」と題された37 ページもある講演資料を頂きありがとうございました.  高校時代の同期:小生のような科学の門外漢にも,優しく,判りやすいお話しでした.青春時代の自己に厳しい努力家とユーモア溢れる人柄が,今も脈々と生き続けていることが判ります.優秀な教え子と数多くの友人たちに囲まれ,充実した最終講義を終え,穏やかに微笑まれる貴兄は,本当に幸せな方だと思います.  学生時代のコーラス仲間(女性):最終講義を聞かせていただきありがとうございました.思った以上にコーラスのメンバーも集まり,ミニ同窓会も盛り上がってよかったですね.たしか,お話の中で企業の生活をしていた時でしょうか,十数回の引越しを経験されたとか・・・奥さまが大変だったでしょうね.また子供さんたちも学校への適応にも苦労があったのではないでしょうか.本当は最終講義で奥様にお目にかかれれば良かったのですが,よろしくお伝えください.  若手教員:先生のこれまでの業績や教育観に大変感銘し,久しぶりに57 号館の席に座って,学生の頃に受けた浅川先生の講義を思い出しておりました.小生の着任にあたりまして,もし何か引き継ぐことがございましたら,ご教授頂けましたら幸いでございます.  浅川研卒業生:先生の講義を聴くのは学部3 年以来なので新鮮に感じました.学生時代は,何も目的もなく授業を受けていましたので基礎学力の大切さを知りませんでした.しかし,今となっては材料力学,流体力学,熱力学,数学と基礎科目の必要性を痛感しております.先生のお話を聞いた後,すぐに本屋さんに行き塑性力学の本を購入し新幹線内で勉強しました.
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折田 伸昭
2021年5月05日
In モトイズム(12)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  住友金属工業に務めて28 年,早稲田大学にお世話になって18年が過ぎました.住金では尼崎の研究所に8 年,小倉製鉄所の現場に17 年,東京本社の企画部に3 年在籍しました.この間,研究,開発,現場工場操業,品質保証,客先対応,本社の行政など会社としての一通りの業務を経験し,これが実務経験として大学の教育・研究に役に立ちました.ただし転勤7 回,引越し11 回と家族には迷惑をかけてしまいました.  「大学の常識は社会の非常識」といわれるように当初はかなりとまどいました.大学から見れば「私が大学の非常識人間」と見られていました.最初の数年間は理事会・教員組合・教授会・主任会・教室会議で相当議論を吹っかけました.その典型例が「給与が年齢給」であることです.「能力にかかわらず待遇が同じ」というあり得ないシステムに腹立たしく思いましたが,ある時「研究に失敗しても,総長や学部長に楯突いても,自分の給与に影響ない」ことに気がつき,腹が立つのではなく腹が据わったことを覚えています.  私が教員になった当時の機械工学科は1人の先生当たり学生数Student Ratio が14 人でした.理工の学科平均は当時8 人です.機械工学科は3 年から研究室に配属されるので,私の研究室は大学院を含めると40 人近くに膨れあがります.まず学生から「同じ授業料を払っているのになぜ機械工学科だけが学生数が多いのか」との不満に答える必要がありました.それは当然な不満でした.その後,数年にわたり私はStudent Ratio の是正に走りました.幸いにも2007 年の大学改革時に他学科並みに8 人ほどに是正して頂きました.やはり実情をしっかりと伝え,共感を得ることが大切と痛感しました.  機械工学科は同じ時期「総機」と「機航」分かれました.これも科内で合宿したり,教室会議後,夜遅くまで長期間議論をした結果であり,双方納得しました.今でも私は良かったと思っています.ただし,OB や世間からは「どうして2つに分かれるの?」との疑問を問いかけられます.これは両学科が実績で世間に示す以外にはないと考えております.以上のように総じて大学生活はやりがいがあり充実した日々でした.が,一つだけ未解決な難題があります.  旧帝大と早慶を比較して考えますと,早大だけにないもの・・・それは医学部です.それでは旧帝大にあって早稲田にも慶応にもないものは何でしょうか・・・それは「材料系学科」です.早大の「材料系学科」旧帝大に負けないばかりか材研を含めれば旧帝大よりも力があると世間では認められてきました.逢坂委員会でも堀越委員会でもその必要性が強調されました.是非学術院を中心に今後とも皆さんのご協力御願い致します.18 年間大変お世話になりました.
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折田 伸昭
2021年4月24日
In モトイズム(11)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  宮崎駿監督の「風立ちぬ」が話題になっている.この作品は,零戦の設計者堀越一郎をテーマとしており,堀越技師の仕事への情熱,最先端を行くパイオニアとしての「熱い心」に宮崎監督は強い共感を抱いたのではないか言われている.  私の住金の上司は堀越グループで零戦のプロペラに使用されるジュラルミンを開発した担当であり,堀越一郎の技術者魂をよく聞かされたものである.  日経新聞の「私の履歴書」に三菱重工業相談役・西岡喬氏が堀越一郎との出会いの挿話があり,大変興味深かったのでここに紹介したい.“私が大学を卒業した1959 年は三菱重工業が3社に分割されたうちの,新三菱重工業がF86 をライセンス生産していた.私は飛行機にすぐ触ることができ将来性もありそうなので「日本航空もいいかな」と思った.1951 年に設立された日航は路線を拡張中であった.どんな仕事か聞こうと航空学科専修の同期の一人と一緒に日本航空の本社に行くことにした.東京駅を降りて気がついた.近くには航空学科の堀越一郎先生が顧問を務める新三菱重工業の本社がある.先生に挨拶して日航を就職先に考えていますとお伝えすることにした.「何を考えているのか」と,堀越さんに一喝された.こちらが話をするまもなく,堀越さんは人事部長を呼び私たち2人はその場でサインすることになった.試験をすることもなく,新三菱重工に内定した.”  心あるエンジニアであったらつい「何を考えているのか!」と言葉に表してしまうであろう.そこに,世間で流布している優秀で冷静なエンジニア像とは別の,人間臭い息吹に感動した.住金のその上司も,私がいい加減案な返答をすると,みるみるうちに顔が真っ赤になり,感情をむき出しにして叱咤した.怒られた方も,自分の考えの浅さに気がつく.むしろ,あのとき叱られなかったら自分はどうなっていたかと思う.  現在の上司は若者のいうことを肯定し同調する傾向にあり,誤った考えを一喝し,奮起を促す場面が少なくなっている.逆に言えば,責任を取らない,取りたく上司が増えた.寂しいがこれが日本の現実であろう.
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折田 伸昭
2021年4月24日
In モトイズム(11)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  最近,右の耳鳴りがひどく,音が割れて聞き苦しくなった.気圧が変動したような違和感があった.しばらく様子を見ても直らない.ただごとではなさそうだと感じ,近くの耳鼻科のクリニック行った.外耳・内耳炎ではなく,神経性の突発性難聴の疑いあり,早速聴力検査したところ,5千ヘルツ以上は以前から聞こえにくくなっていたが(若い頃の結核治療に使用したストマイの後遺症),今回は右耳の低音部も落ちている.ステロイド系の強い薬で様子を見ることした.「発症したら一刻も早く入院可能な病院で受診して、治療を開始することが最も肝心」らしい.最低でも1~2週間が完治するか否かの限界らしい.一ヶ月以上になると難しくなる.点滴のあと,そのまま先生の紹介で入院の可否を含め大学病院へ駆け込んだ.0から30DB は通常の聞こえだが,右の低音聴覚が50DB と低く中程度の難聴傷害になっている.入院するほどでもないとの診断(入院しても手遅れ).内耳の蝸牛の中にあるリンパ液がホルモンの異常でバランスを崩し,腫れたりして聴覚神経を圧迫したことが原因のようだ.疲れやストレスが引き金になるが詳細は不明とのこと.メニエル氏病にも注意と診断される.今から思うと,8月15 日御岳山でトレッキングしたさい疲労困憊したことがあり,それが引き金かなとも思う.8月17 日の土曜日の合唱練習で,響きが異様に喧しく感じたことがあった.その時点で即入院すれば,直っていたかもしれない.  後日談:10 月に鍼灸治療,耳専門の神尾病院にも通ったが治療効果はなかった.今となったら,この耳鳴りと音割れに慣れるしかない.「突発性難聴は時間との勝負」と声を大にして警告したい.
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折田 伸昭
2021年4月24日
In モトイズム(11)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  あるエッセーで,「草原で草を食べるシマウマは,遠くにライオンがいても逃げない.しかし,自分の安全を脅かすライオンのしぐさや行動に常に注意を払っている.ライオンは危険ではある が,遠くにいるときは安心して食事ができるのだ.」とあり,安全と安心についてうまく言い表していると共感した.  東京電力福島第1 原子力発電所事故の後,「原子力は安全か?原子力を即廃止し,政府は安全安心できる暮らしを保証せよ!」との訴えが何の前提もなく世論を形成している.原子力をライオンとするなら「ライオンは安全か? ライオンを絶滅し,シマウマが安心して食事ができるよう保証せよ!」と言っているようなものだ.  自動車が誕生してから250 年,未だに事故はあるが,それを理由に誰も絶滅しようなどとは思っていない.ボイラーは当初,濢発事故で毎年数万人が死亡していた.それから200 年経過した現在,ボイラー事故は極めて少なくなった.航空機も誕生して100年,未だに事故はあるが,以前のように事故が起きるかもしれないと悲壮な覚悟で搭乗する乗り物ではなくなった.原子力発電は誕生して未だわずか50 年である.確かに未知な領域が多く,少なからず事故はある.しかし,英知を積み上げれば人間と安心して共存できる方策はあるはずだ.原子力発電をいま廃絶を決めたとしても有能な技術者が今後50 年は継続的に必要であり,高価な化石エネルギーを今以上に輸入しなければならない.クリーンエネルギーなどは今後100 年の猶予を与えたとしても主力にならないだろう.  政府に「自分の生活の安全と安心を保証せよ!」と要求することは易しい.訴えると動じに,しからばどうすればよいのかと各人が具体策を提示する努力も必要である.安全と安心を安売りする人,それを買おうとする人を私は信用しない.
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折田 伸昭
2021年4月24日
In モトイズム(11)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  私が入社した住金中央技術研究所の上司から「課題が与えられたら,関連する文献・専門書をとことん読み込め,それに溺れろ.そしてそこから一人で這い上がれ!」と指導されてきた.同時に「現場,現物,現実を見よ.事務所に宝物はない,現場(研究所であれば実験場,工場であれば操業場)へ出ろ!」と.  理化学研究所の大河内正敏は,「誰に聞け,何を調べろ,何を読め,というような手は駄目だ, 何もせずに黙って睨めて考え込む,今日うまい考えが出なければ,寝ていて考える,目が覚めたらまた考える,毎日同じことを繰り返せ」と指導してきたという.  TV に登場する刑事コロンボは「まず最初に殺人現場に行く,現場100 辺を地で行く.現場を見ながら考え抜く.その後関係者から状況を聞きまくる.この順番を逆にしない.  以上3者に共通しているのは「先入観を無くしてあるがままを見よ」である.工場で座り込む,立ちつくす, 機械と四六時中睨めっこをする,考え込む,数日後にまた見る・・・これだけ執着すれば夢に見る.夢に見るようになったら解決が近い.  ただし,基礎のない若手技術者が現場を一日中見ても町の発明家と同じで,素人を超えた発想やアイデアはまず期待できない.専門家としての発想の原点である基礎力・分析力が備わっていないからだ.理研の大河内の手法は基礎力や専門学力のないエンジニアには通用しない.  私は大学の入試で,数学のある問題がどうしても解けないことがあった.時間が迫る,焦る.だが,解けないまま試験は終了した.やれやれと,トイレに入った途端,パット頭の電気が点灯し,解が浮かび上がってきた.大河内は「どうしても解けないときは放っておく,そうすればある時,先人未発の機械装置が浮いて出てくる」とも語っている.
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折田 伸昭
2021年4月24日
In モトイズム(11)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  入学おめでとう.20代の幕臣や公家,諸藩の下級武士であった勝海舟・岩倉具視・大隈重信・伊藤博文・大久保利通・西郷隆盛・高杉晋作・坂本竜馬ら,明治維新の志士となる40 名以上の若人が1865 年,ある先生の周りで一枚の写真に収まっている.その先生の名前はグイド・フルベッキである.真偽のほどは定かではないが話としては大変面白い.  彼は1830 年オランダに生まれ,機械工学を学んだ.22 歳で米国に渡り,機械エンジニアとして実践を重ねた後,宣教師として来日,1864 年幕府が設立した長崎英語伝習所,長崎の佐賀藩校で英語・政治・経済などについて講義した.この先生のもと有為の若人が参集,その後彼らは維新の志士として活躍したのはご承知の通りである.  翻って,20 代をこれから迎えようとしている諸君はこの志士と同じ立場にあることを次の3点から強調したい.  まず第1に,諸君らはいかなる「志し」で今ここに参集したのか?「自分はどのような人生を描いているのか,そのために大学で何を極めたいのか,卒業後はどのような分野で貢献・活躍したいのか」・・・身近なところでは1年後には学科選択,2年後以降に研究室選択があり,高学年になると就職先の決定が控えている.その起動力が「志し」である.「受け身の人生」から「志しの人生」に今,舵を切って欲しい.  第2に若いときにどのような師や友と出会うかである.たった2年間ではあるがフルベッキ先生に学んだ若人は世界の広さ,日本の危うさを痛感したことであろう.同時に一緒に学んだ友との信頼関係を築いたであろう.その後の歴史に名を刻んだ勝海舟と西郷隆盛,大隈重信と伊藤博文との信頼関係も,この学舎で結べたのではないか? フルベッキ先生と同じように学科選択後の研究室選びがいかに大切か,この一堂に会した写真から想像がつく.  第3に大いに本に親しんで欲しい.「本を読む」のではなく「本を読み込む」のだ.読み込むとは「本を暗記」することでなく「本を考え抜く」ことである.先人の偉業を追体験し,醸成することにより「自分なりの解釈・考え」が生まれ自立する礎が築ける.  このことに早く気がつくか否か,これが各自の人生の分かれ目になることを肝に銘じて欲しい.本日はおめでとう,そしてがんばれ!
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折田 伸昭
2021年4月24日
In モトイズム(11)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  浅川先生の人柄・授業の面白さに惚れて,浅川研だけに絞って希望を出した.ジャンケン配属ではあったが,希望の浅川研に見事入れた.ところが夏期実験では研究室仲間はだれもいなく,共同研究先までの通学時間も長く,実験もつまらない.浅川研はこんなにつまらないのかと,理想と現実のギャップを感じた.“隣の芝生は青く見える”の言葉通り,本業を疎かにして,アルバイトなどに力を入れ始めた.だんだんと研究室からも足を遠ざけた.研究室の行事や発表会にも参加しなくなった.たまに研究室に行くと 先生からは怒られっぱなし.完全抜け殻状態.こんな状態で就活をしていたが,一本に絞っていた企業から内定ももらえず,ニート候補生となる.“抜け殻学生”を採用してくれるほど世間は甘くなかった.この時の挫折感は浪人時代以上だった気がする.  今の現状をマイナスにではなく,プラスに考えることにした.研究に一生懸命取り組んで,浅川先生の私に対する評価を覆してやろうと考えた(新たな目標).そんな思いで研究を続けること,三か月.あるとき共同研究先の発表で“これなら社会人生活やっていけそうだ”と初めて先生に褒められた.うれしかった.  研究室で一番世話になった親友A君.私の卒業証書の半分は君のものといっても過言ではない.それぐらい世話になった.やる気のない落ちこぼれをめげずに,一年間指導したあなたは観音様だ.君は将来のリーダーにふさわしい人間だ.社会にはエリートが一杯いると思う.でもそれ以上に不器用な人間,頭の悪い人間,やる気のない人間の方が圧倒的に多いのが事実.エリートを引っ張っていくエリートよりも,凡人をうまく輝かせることのできるエリート,やる気のない凡人にやる気を出させるエリートが必要だ.君はやる気のない私にやる気を与えてくれた.普段浅川先生に怒られっぱなしだった私が,卒論審査前日に“発表がうまい!”とほめられたんだよ!これは君が面倒みてくれたからだよ.発表前はバイト終わりに徹夜で付き合ってくれた.頑張れといつも声をかけてくれる.成長したと評価してくれる.一緒にスケジュールを考えてくれる.とにかく一生懸命に私にやる気を出させるように考えてくれる.この一年間君から学んだことは研究面よりも,人格的な面で学ぶことが多かった.君と研究できたことは大きな財産になった.  最後に浅川先生には多大な迷惑をおかけしました.何度信頼を裏切ったことでしょうか? そんな私を最後まで指導していただいた.先生の厳しいお言葉は一つ一つ私の頭に記憶されております. “エンジニアのセンスがないね”,“こんな発表してたら企業でやっていけないよ”,“論理的じゃないね”,“心がこもった発表じゃない”とショッキングな発言で心はズタズタです.でも,“オー,この発表だったら社会で通用するね”,“一年前では考えられないほど頑張ったな”というほめ言葉が100 回に1 回ぐらいとんでくるだけで,うれしかったです.叱るときは全力でしかる.褒めるときはさりげなく褒める先生の指導が大好きでした.私が道を踏み外す時は先生が全力で叱ってくれたから,やる気のない時に喝をいれてくれたから,今の自分があると思います.最後まで見捨てずに指導してくださり本当にありがとうございました.
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折田 伸昭
2021年4月24日
In モトイズム(11)
早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp  企業トップから大学に対する風当たりはいつの時代でも強いが,ゆとり教育世代が社会人となってからはことのほか厳しい.「教え方が下手,教育をないがしろ,文科省の言いなり,すぐに役に立たない」などなど.  戦時中,慶大理工の前身である藤原工業大学の初代学部長の谷村中将は,出身の軍から「すぐに役に立つ人材を出せ」と要請された際、「すぐに役に立つ人材はすぐに役に立たなくなる」とこれを諫めた.  早大でも「工を理する」を意味する理工科と命名した大隈重信は「工を基礎から磨き上げる理が大切」と喝破していた.慶大の経済も以前は「理財科」と呼ばれ、その意味も「財を理する」にある.  現在の日本の大学は文系も理系も入学時に学部・学科まで決めさせている.理工系各学科に入学した学生の8割は、なぜ自分がその学科を選択したのか説明できない.自分の人生と向き合い悩み,思索する機会がなかった高校生には無理な選択であり,大学入学後も人生と向き合う教育の機会はほとんどない.  大学の大学たる所以はこの自分を磨き上げる教養教育だったはずだ.しかし,この数十年の間に多くの教養課程が崩壊消滅し,役に立つ教育を標榜して専門大学に特化していった.青春時代に歴史・哲学・文学・芸術および数学・物理を窮めておくことは,その後の国際人としてだけでなく充実した人生を過ごすために必須である.主要大学では、この教養教育を如何に再興し発展させるかが今の最大の関心事である.  唯一理工系大学で世界に誇れる点は学部高学年からの指導教授による寺子屋教育である.問題点の発掘・課題設定・仮説・検証・考察・結論そして論文執筆・プレゼンテーション・質疑応答 そして海外での成果発表のプロセスである.  私の経験によれば,この洗礼を受けた学生は海外のPHD コースの学生とも十分渡り合える.企業トップが「すぐに役に立つ人材が育ってきた」と誤解しなければよいがと危惧している.
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折田 伸昭

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