早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
あるエッセーで,「草原で草を食べるシマウマは,遠くにライオンがいても逃げない.しかし,自分の安全を脅かすライオンのしぐさや行動に常に注意を払っている.ライオンは危険ではある
が,遠くにいるときは安心して食事ができるのだ.」とあり,安全と安心についてうまく言い表していると共感した.
東京電力福島第1 原子力発電所事故の後,「原子力は安全か?原子力を即廃止し,政府は安全安心できる暮らしを保証せよ!」との訴えが何の前提もなく世論を形成している.原子力をライオンとするなら「ライオンは安全か? ライオンを絶滅し,シマウマが安心して食事ができるよう保証せよ!」と言っているようなものだ.
自動車が誕生してから250 年,未だに事故はあるが,それを理由に誰も絶滅しようなどとは思っていない.ボイラーは当初,濢発事故で毎年数万人が死亡していた.それから200 年経過した現在,ボイラー事故は極めて少なくなった.航空機も誕生して100年,未だに事故はあるが,以前のように事故が起きるかもしれないと悲壮な覚悟で搭乗する乗り物ではなくなった.原子力発電は誕生して未だわずか50 年である.確かに未知な領域が多く,少なからず事故はある.しかし,英知を積み上げれば人間と安心して共存できる方策はあるはずだ.原子力発電をいま廃絶を決めたとしても有能な技術者が今後50 年は継続的に必要であり,高価な化石エネルギーを今以上に輸入しなければならない.クリーンエネルギーなどは今後100 年の猶予を与えたとしても主力にならないだろう.
政府に「自分の生活の安全と安心を保証せよ!」と要求することは易しい.訴えると動じに,しからばどうすればよいのかと各人が具体策を提示する努力も必要である.安全と安心を安売りする人,それを買おうとする人を私は信用しない.