早稲田大学 名誉教授 浅川基男
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大学の先生や企業の部課長クラスの1時間あたり人件費を仮に 1 万円とすると、20 人が
出席する2時間の会議は約 40 万円の出費となる。コストは価値を生み出す指標であり、無駄
を排除し地球環境を守る尺度でもある。しかし、会議の実体は定刻より遅れて開催され、
延々と議論が続き、終了時刻を過ぎてまで議論したあげく時間切れ、結論持ち越しが何と多い
ことか。これに嫌気がさし、会議の欠席者が増える悪循環が毎年繰り返される。
煎じ詰めればコストは地球環境を大切にする指標なのである。地球環境を重視する企業では、
事前に資料が配布され、何をその会議で決するかが明瞭であり、かつ会議には 5 分前に集合し、
1 時間以内で終わる努力がなされている。企業から大学に移った多くの先生方の悩みが「会議や
雑用のため研究時間が短くなった」という状況は笑い話にもならない。
最も大切なことは会議を主催する人、すなわち議長や委員長の心構えだと私は考えている。
会議の冒頭は「データを可能な限り多く集め、分析し、事実関係を精査し、これを踏まえて
どう判断し、どうしたらよいかは皆さんとよく協議して行きたい」との挨拶で始まることが
よくある。これが合理的で民主的な決め方と思われているようだが、私から観ると、とんでも
ないことである。このような方法では一人でも異論があると、なかなか決まる話も決まらない。
決議しても妥協の産物となり、ろくな結果にはならない。また限られた関係者以外は常日頃
その議題について真剣に考える余裕すら無く、底の浅い議論しか期待できない。
委員長自らが案を提示し、これを叩き台として審議を重ね、叩き台の主導権は委員長が最後
まで握ることである。枝葉の部分では妥協も必要であろうが、幹なる部分は委員長としての
見解を主張し説得すべきである。役職に就くことが自己目的化した人や自分に強い思いや
意見が無い人は、会議を取り仕切る長になるべきではない。
数百人が集まる教授会なら数百万円の価値のある結論が毎回授業料納付者から求められて
いることを肝に銘じておきたい。