ある合唱団の案内に「歌って楽しくない歌は歌わない,聴いて楽しくない歌は歌わない.古典的名曲のこころを上手に表現することだ」とあった.至極当然ではあるがなかなか勇気のある発言である.
12 音階による現代音楽のCD の宣伝に「この曲は世界でも有名な作曲家の作品,聞くのには忍耐がいるが作品の芸術性は極めて高い」と.難解で高尚な芸術性を味わうには忍耐や我慢が必要なのだろうか?芸術はまず直感や感性であり,理論はその感性を深めるためにあると私は考える.はじめから忍耐と努力を重ねてまでも高尚な芸術に触れようとは思わない.
日本では演奏の満足度にかかわらず聴衆は拍手し,社交儀礼であるかのようにアンコールの拍手を送る.本当にそれでよいのだろうか.例えば原爆の悲惨さを歌った現代合唱曲がある.不協和音で叫び続ける演奏は,聴衆の不快感はもとより,長い苦しい練習をその歌い手側にも強いており同情を禁じ得ない.私は我慢ならず,拍手を背に途中で退場した.一方同じ反戦歌でも沖縄戦を歌った森山良子の「さとうきび畑」やジョンバエズによるヴェトナム反戦歌「ウイ・シャル・オーバー・カム」は大衆が容易に口ずさむことができる名曲で,何百倍の反戦効果があるはずだ.
ある百戦錬磨の経済人が「古典芸術も最初はエンターテインメント.歌舞伎は大衆芸能だったし,モーツアルトのオペラも浮気話や痴話げんかのような題材が多い.それが時空を超えて広がり古典になった.今から三百年後のクラシックはビートルズやアニメの宮崎駿監督ではないか」と述べている.
高名な料理人は,客を置き去りにした味を自慢し,芸術的建築家は住人を無視し,建物の移動に傘を必要とする芸術作品で建築賞を狙う.大衆の審眼に目を向けない芸術家は裸の王様となる.苦痛で忍耐のいる芸術に出会ったら,素直にひるまずNO と言おう.わからないことにはわからないとはっきり言う勇気を持とう.