物理現象を考えるためには,まず座標軸を決めてから,その方向,プラス・マイナス,大きさが定まる.時々刻々の変化も知ることができる.
私は昭和30 年代後半に早稲田大学に入学した.大方の当時の学生と同じように安保賛成か反対か,自民党か社会党か,米国追随か国連主導か,資本主義か社会主義か,ゲゼルシャフトかゲマインシャフトか,そしてその背景にある哲学,宗教,芸術などの造詣が問われる時代であった.この刺激ある早稲田の校内で「ノンポリ(ポリシーがない,主張がない)」であることは,むしろ勇気のいる時代で,その意味では恵まれた時代でもあった.
私も「革マル的(暴力革命)左翼思想」を排除しつつも,社会民主主義的な国家観に理想を抱くようになった.したがって民間会社に就職したときは,理想のベクトルから資本主義経済体制へ方向転換した後ろめたさも感じた.会社の寮でも同期の仲間と語り合い,悩み,議論を重ねたが,数年するといつのまにか高度成長で驀進する会社の一員として働くようになり,会社が成長するほど,自分の生活が目に見えて豊かになり,かつ今まで虐げられ,最低の生活を余儀なくされた人たちにも仕事が回り,日本全体の底上げが始まったのである.
時折,「あの学生時代に経験したフィーバーは何だったのだろう,そしてあの学生時代からどう自分は変わったのか」と想い返すことがある.当時の猫の髭のように敏感な感性で培われた考えがどう進歩し,いかに変わったのか?これは座標軸にプロットされた学生時代の起点からの現在に至る変化から推し量ることができる.すなわち自分の基軸がある.
翻って,今の学生は自分の座標軸をいかに構築しどこに関心を持ち,先輩,同僚と何を議論し,どのような本を読み,いかなる人生設計,国家観を理想としているのだろう.豊かな環境で考えたことがないと言えばそれまでだが,これだけは自分で構築する以外には解決策はないのだが.