「子供だって,選択の自由と権利がある。個性を大切にすべきである。子供にとってものわかりの良い親でありたい。友達のような関係でいたい」との親達の意見をマスコミや街中でよく見聞きする。大家族が一つ屋根で暮らしていた頃は、親を教育する役割はお爺さんでありお婆さん、あるいは隣近所のおじさん、おばさんであった。
しかし、今の核家族社会では、この様な環境が無いばかりか、子供をきつく叱り躾ることは本人の自由や個性を束縛することだと忌み嫌われる風潮が続いた。以前ここで述べたように私が幼稚園や小学校で教えるべき挨拶や感謝の念を大学生に説教すると「そういうことでしたか、わかりました」と誠に素直に改めるのである。これは家庭や学校で口やかましく躾教育がされてこなかった証拠である。ある会社の人事部長さんが面白いことを述べていた。「新人が入ってくると大体その家族構成がわかる。長男か、次女かはもちろん、特におじいさんやおばあさんと一緒に暮らしている場合は、周囲への配慮・年輩との会話・電話の取り方・物の置き方・服装などの全体的立ち居振る舞いからすぐに想像がつく」と、冗談ではなく、今後、英会話教室や料理教室と同じように「父親・母親になるための子育て教室」が盛況になることを期待している。もちろん大学を含めた教育機関においても夫婦、家庭、子育て、社会や国のあり方を学び直すことも問われなければならない。ただしその結果が現れるのは残念ながら一世代、二世代後の50 年ほど先となる。この責任は敗戦で自信を喪失した昭和一桁世代と、戦後民主主義教育により全ての権威をただ壊しただけの私を含む昭和十年代の世代、そして「夫婦も子供も友達感覚で」と舞い上がった団塊の世代にあるといえよう。