中国のある大学では日曜日に開館していた図書館を閉鎖したとの新聞記事が出ていた。平日はもちろん、日曜日の夜遅くまで 図書館で勉強や読書に専念するため、健康を害する学生が続出したことがその理由らしい。一方、本大学の理工図書館(文献資料室)はいつ行っても閑散としている。17時過ぎはどこを見回しても人影が無く、やや身の危険すら感じるほどである。本部キャンパスにある中央図書館にはさすが学生はいるが、いつ行っても席に困ることはない。理工キャンパスから離れている中央図書館には、入ったこともなければどこにあるかも知らない学生が多くいる。いわんや国立国会図書館など夢のまた夢であろう。彼らの勉学場所は、おしゃべりや気楽な態度で過ごせる食堂や学生ラウンジである。試験の前になると学生で一杯になり、勉学環境は一変している。専門理工系科目以外に、歴史・芸術・文学・経済・社会の研鑽を積んでいるのか考えるとそれもかなり疑わしい。読書よりも携帯端末に費やす時間が圧倒的に多いと思われる。
ルソーは「人間は2度生まれる。誕生のときと青春ときだ」と言っている。こんな青春でいいのだろうか! “忌憚無く言わしめれば、今日学生諸君はだいたい読書せぬのではないかと私は考えている。学校のノートと教科書以外殆ど何も読まぬ諸君が多いのではないかと思ふ。また時々学生諸君の生計調査などで発表されるところを見ても,読書の風は甚だしく希薄であることを示すと共に、読むにしても単なる娯楽雑誌の類が多く文化水準の低いことを表してゐる。” 以上は末川博氏(後の立命館大学総長)が1942年中央公論に掲載した論評である。当時は国立大学18 校で学生数 2.8 万人、私立大学25校で4.3 万人の時代である。まさに大学生がエリートであった時代であったはずだ。だから諸君も「あまり心配しないでいい」とは言わないが・・・