早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
大正時代に生まれた八木重吉の詩に「雨」がある.
雨の音がきこえる
雨が降っていたのだ
あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしずかに死んでいこう
卒論の審査会で忙しいある日,姉からお袋の様態が悪いと電話があり,北区の実家に直行した.枕元のお袋の手を握りしめたが意識があるか無いか分からない.1時間ほどしてから息の間隔が空き始めた.10 秒ほどしてまた息をし始めた.次は20 秒,そして30 秒,ついに息をしなくなった.暖かかった手がひんやりとし,顔色もだんだん赤みが失せ始めた.家族に見守られながら静かに息を引き取った.戦争未亡人の母は子育てしながら,土砂降り有り,雷有り,突風有りと大変困難な嵐の中,そっと世のため,子のために働いてきた.そして今,雨があがるように静かに,静かに息を引きとった.年老いてからは「今が一番幸せ」と語っていたように穏やかな人生を過ごせたと思う. 八木重吉と母は同年代である.重吉は結核でわずか29 才で亡くなったが,母は92才の長寿を得た.