早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
川鉄,住金の話題とともに,高度成長期に新日鐵が果たした役割についても触れてみたい.昭和五十二年(1977 年),新日鐵の稲山嘉寛会長が訪中した際に李先念副主席から上海宝山鋼鉄総廠(上海宝山钢铁总厂)建設協力が話題に上がった.翌年に文革で荒廃した中国経済を立て直すため開放路線へと舵を切った鄧小平副総理が新日鐵君津製鉄所を視察した際に,最新鋭の製鉄技術に感銘し,技術協力を強く要請した.
そして上海の宝山製鉄所建設の技術協力を新日鐵が担うことになった.さっそく新日鐵は中国技術者1000 名の日本への受入れ,日本から技術者320 名を含む延べ8000 人を派遣,全社挙げて支援し7年余の苦節の末にやっと完成した.宝山製鉄所建設を舞台として山崎豊子氏の長編小説「大地の子」が1995 年NHKドラマで放映されたので馴染み深い方も多いと思う.中国で戦争孤児となった実の子(宝山製鉄所の技師)と再会した父(日本の宝山建設技師)は父子水入らずで、三峡下りの旅に出る。雄大な長江を下る船の上で,「日本へ来て一緒に暮らさないか」と持ちかけたが「私は中国の大地で育てられた恩があります.ここで一生を過ごします」との感動的な場面で終わっている.現在では「中国最大の製鉄所」として多くの子会社を抱える大企業「宝鋼集団」に成長した.
私も新日鐵の関係者からその間の苦労談を多く見聞きしてきた.資金協力要請,世界最先端の設備,技術の要求と特許や知財権の無視(認識ギャップ),度重なる契約破棄・工期の遅延,国内問題を糊塗するための責任転嫁など,数えきれない苦難を重ねた.今でも中国に進出した世界の多くの企業がこの苦難に遭遇中である.