火縄銃は堺,そして瞬く間に日本各地に普及し,数年の間に数百丁が量産されるまでになった.これは長年にわたり,日本刀を頂点とした鉄の熔解・塑性加工・熱処理技術など日本のものづくりの基礎が備わっていたからである.このような師から弟子に受け継ぐ伝統技術の体得を背景に,金属加工技術から機械工業や重工業に発展させ,日本を欧米諸国と肩を並べる国家にしようと邁進してきたのが幕末のエンジニアであり,これを引き継いだのは戦後のエンジニアである.ここではその歴史を振り返るとともに,著者の「思い」を述べてみたい.
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早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp