早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
豊田喜一郎をモデルにして,ドラマ「LEADERS( リーダーズ)」が,TBS にて放映された.喜一郎は明治二十六年(1894 年)に豊田佐吉の長男として生まれ,昭和二十七年(1952 年)に58 歳で死去した.喜一郎には「いつかは国産の自動車を造りたい」との強い「思い」があり,父の豊田自動織機製作所内に個人研究所を設け,昭和五年(1930 年)に4馬力の小型エンジンを開発した.昭和八年(1933 年)彼が33 歳のとき自動車部を開設した.そして試作工場と製鋼所を設け,昭和十五年(1940 年)豊田製鋼株式会社とした.現在の愛知製鋼株式会社の誕生である.その間,現・豊田市に 58 万坪の大衆乗用車の量産工場用敷地の買収,昭和十二年(1937 年)自動車部がトヨタ自動車工業株式会社(トヨタ自工) として自動織機製作所から独立した.
戦後昭和二十五年(1950 年)トヨタ自動車販売を設立したが,トヨタ の事業は低迷し賃金の遅配・カットにより労働争議が発生し,喜一郎は責任をとって同年6月社長を辞任した.しかし自動車はその機構・製造方法だけでなく材料と部品が大切との豊田喜一郎の「思い」が功を奏し,その後世界をリードする企業に発展した.
私はトヨタが今日の隆盛に結びついた一因が,自動車には部品,特に素材となる材鉄鋼材料が重要で,これを国産化しないと自動車の将来はないと喝破したことにあると思っている.