早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
ドイツも米国と同様、若者は手っ取り早く高い収入の得やすい弁護士、会計士、金融・証券志望が強い。一方、こつこつ積み上げ型の理工系の人気はいま一つである。この穴埋めをするように外国から多くの留学生が集まって来る。授業料は無料であり、米国のような人種問題には比較的に寛容である。アーヘン工科大学の場合、昼休みの学生食堂は留学生が本国の仲間と語らう大事な時間となる。特に、中国人が圧倒的に多く各テーブルは中国語が賑やかに飛び交う。その中の一人は「博士課程を終えたら、ひとまずヨーロッパで研究を継続したい。今、中国に戻ってもじっくり研究できる環境にない。」 メキシコの学生は「米国ではマイノリティに対する偏見があるが、ここでは少ないし、授業料の心配無しに研究に専念できる」と述べていた。
残念なことに日本への留学は始めから候補に無い。異口同音に「日本では卒業しても外国人が働きにくいと聞いている」との答えだ。米国でも、ドイツでも「なぜ博士課程に行くのか?」と聞くと「つまらない質問をする」との顔をしながら「早く出世したい、早く高給を取りたい」と言う。実利的なインセンティブが学生に強く働いているようだ。また、産業界も博士課程出身者に好待遇を実績として保証していることにある。日本の大学課程での博士は未だに大学教員養成的な教育法に問題があるし、産業界も博士の価値をあまり認めていない。
さて多くの博士課程にいる学生は、夕方になると研究を切り上げさっさと姿を消して行く。夜遅くまで勉学・研究に勤しむのは殆どが留学生である。私が最後の鍵を閉めようと室内を見回ると中国の留学生が残っていることがしばしばであった。ドイツの鉄道はよく遅れる。聞くところによると運転手は遅れを取り戻す努力、すなわち「公」よりも自分や自分の時間の「私」を大切にす るためという。真偽はともかく、ドイツでも社会のためよりも個人の生活を優先することが第一で「滅私奉公」という言葉は日本と同様に死語になりつつあることは寂しい.