早稲田大学 名誉教授 浅川基男
私の学科の重要な必修科目の一つに「材料の力学」がある.機械を壊さず安全に設計するため
の最も基礎的な学問である。ある時、昭和 50 年に出題された試験問題を同じ学年の現役学生に
出題してみた。その結果は当時の学生の平均点の半分以下という惨憺たる成績であった。
また、この授業では学生の理解度をチェックするため、教授との面接試問を 40 年間続けてきた。
しかし昨年これを中止した。全く予習せず面接試問に臨む学生が多くなりほとんどが落第点と
なり、試問の意味が無くなってしまったからである。
卒業条件が「最低でも 124 単位」と決められると7 割近くの学生が最低単位しか取得しない。
「最小の努力で如何に卒業証書を得るか」にいじましいほど精力を使う。
「小人閑居として不善をなす」の諺があるように文科省が昭和52 年から始めた「ゆとり教育」
の結果、今では日本の子供の三分の二は家庭で学習する時間が1時間以内になってしまった。
昨年から更に本格的なゆとり教育に突入し 3 割学習時間が削減され、昭和 52 年以前に比べ
半分近くに削減されてしまった。
一方、同じ統計でア米国は現在2時間、韓国は3時間である。米国の大学における学習時間も
日本のほぼ倍である。米国では 1960 年代初頭から「教育の自由」「ゆとりの中での自己決定」
「選択科目の比率増大」路線を歩んだ結果、秩序のタガが外れ教育の荒廃を招いた。
そこでレーガン政権が教育改革を実行し、「基本に返れ(Back to Basics)!」を推進した。
今の米国における教育再生のキーワードは「ゼロ・トレランス」である。
これは産業界でよく使う「不良品を出荷しない」との語源だが、教育では「校則を厳格に守ら
せる」という意味でもある。
私も欧米の在外研究において留年や退学に対し、私情の入る余地が無い厳しさを垣間見た。
さて、日本の大学では学生の自由意志と個性尊重の美名のもと、必修科目を削減し、学生の
選択に委ねた科目が増える傾向がいまだに続いていることも大いに気になるところである。