早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
ノーベル賞受賞者の利根川博士は「アイデアはチープ(大したことはない)である,価値あるのはそのアイデアに自分の人生を賭けるかどうかである」と断じている.
研究者の役割は独自のアイデアを創出し,それを物理的に検証し,実現の可能性を見極めることである.特許も出願し,学会発表で自分の創造性と研究実績を誇示できる.大方の研究者はここまでは順調に進む.この後,実用化を目指した開発が当然待ちかまえている.問題は発明技術を実用化するために自分の人生をそこに賭けるか否かにある.
私の経験によれば,開発・実用化の段階で80%の研究が跡形もなく雲散霧消して行く.その一つ一つの成功と辛酸は劇的なドラマであり,人生そのものである.失敗して左遷された人や退社した仲間も数多く脳裏に浮かぶ.あとに残された管理職の重要な仕事が敗戦処理である.
研究は最も理想的な環境で,短時間・少量の成果物を出したにすぎない.一方,実用化は寒い日も,暑い日も,どのような作業員が扱っても,安全で耐久性のあるプロセスで品質が一定な商品を量産しなければならない.そのためには,計り知れないほどの多くの人の知恵と工夫が必要になってくる.
ソニー創始者の井深さんが「研究の努力を一とすると,開発は十,実用化には百倍いる」と語っている.学生も研究と開発・実用化の大きな淵を知らず,研究者になりたがる.大学教員や研究者も「死の谷」を越える(実用化のために死ぬ思いをする努力)覚悟と勇気を持たなければ,実用化の果実は得られない.大学でのTLO も研究と特許だけの守備範囲であるならでは一の努力をしただけにすぎない.
昨今,一個人の研究者が会社に多額の発明報奨金を要求する判例が出てきた.確かに発明の主人公ではあるが,実用化の主人公は他にも大勢いるはずだ.この研究者は一対十対百の法則をどう評価し,実用化に汗した多くの人々に対する敬意の念をどう表すのであろうか.