早稲田大学 名誉教授 浅川基男 asakawa@waseda.jp
先日,各業界のOB を招いて「社会人として巣立つために」と題した学生向けのパネルディスカッションを開いた.そのとき,新入社員に最も欠けているのは「コミュニケーション能力」と多くのパネラーから指摘を頂いた.確かに若い人はプレゼンテーションや社会人とのコミュニケーションが不足していることは認めざるを得ない.しかし,これはどうも日本人全体に共通することのようにも思われる.
米国のブッシュ大統領,英国のブレア首相の演説は,身振り手振り,四方の聴衆へのアイコンタクト,声の大小・高低などあらゆる能力を使って自分をわかってもらおうと努力の跡が伺える.その姿勢が聞く人の心にも響くし,質問にも発展する.
一方,日本の首相はあいまいな言葉を発するだけで,国民の知りたいことにまともに答えない.むしろ「コミュニケーションしたくないのでは」との疑問すら感じる.これは我々研究者の学会発表でも同様である.「何の目的・背景で,その研究をしたのか.いかなる新知見が得られ,聞き手とどう関わるのか」がさっぱり伝わって来ない.自分が発表を済ませたらそそくさと会場から消えてしまう人も少なくない.
先日「プレゼンテーションの心得」なる講習会に参加した.そのとき講師が「お客様は神様との意識をもちなさい」と指摘された言葉が印象に残った.政治家の記者会見,研究者の学会発表,教員の講義,これらの共通点は「聞き手が主役,コミュニケーターは聞き手にその内容を理解してもらうこと」である.聞き手が神様なのである.政治家・官僚からブリーフィングする意味不明な言葉,自分の成果を一方的に詰め込んだ研究者の講演,教員による学生を置き去りにした講義,すべて主役が自分だと錯覚しているのだろう.それにしても,今の若者言葉も何とかなりませんか.先輩に向かって「マジですかあ~?」はないでしょう.