私が企業にいたころ,近くの国立大学の先生から「優秀な社員を博士にするときには是非,当大学の博士課程に入学するようお願いします」と奨められたので「博士論文を書くような優秀な社員は,大学に通わせる時間は作れませんよ」と断ると,「毎日,大学に来る必用はありません.仕事の合間に来てもらえば結構です.学会に出席したときも,大学で指導したことにしておきますから・・・」となおも執拗に奨める.「ああ,これは大学院重点化による人集めの一環だな」と察し,受け流していた.
ところが,大学院教育のあり方を論議してきた中央教育審議会は,社会人などが大学院に在籍しないまま論文審査を受けて博士の学位を得るいわゆる「論文博士」の制度を廃止すべきだとの中間報告を最近まとめた.
その理由として「学位は大学の教育課程修了の証明として授与される,学位の国際的な信頼性の確保が必用」と一見もっともらしい理由が並んでいる.確かに論文博士は日本独特の制度ではあるが,毎年の博士号,約1万6千件のうち論文博士が4割近くを占めており,特に人文系では約半数に上るほど,社会で十分機能している制度である.
それでは論文博士は教育が不足し,信頼できないだろうか.私が今まで審査した論文博士は,産業界や研究所で脂の乗り切った30 代から40 代前半の社会人が主で,その論文内容は実産業に直結しており,着実で信頼性の高いデータで構成されている.当然,審査する過程で基礎学問の有無も判断できる.社会での実戦経験が加味されているため,課程内博士に比較して,勝るとも劣ることはまずない.
中教審の答申の実態に合わない改革は,冒頭に述べたように,目的と手段が混同され,課程内博士の員数合わせに翻弄するだけである.そこで私からの提案だが,早大は国立大学の逆を行き「優れた論文博士大歓迎」のキャンペーンをやってみたらどうだろう.