ある調査によると学生を対象に「授業中ほとんど質問しない理由」として,①周囲が気になる・目立ちたくない・受け身的(37%),②集団への警戒・不信(28%),③自分に意見や疑問が浮かばない(26%)の順番となっている.
私が教員になって最もショックだったのは,学生のこの反応の無さであった.3百人の講義でも,10 人程度のゼミ形式の講義でも,この傾向は変わらない.「自分の授業に魅力がない,あるいは信頼されていないでは」とずいぶん悩んだものである.講義が終わってからも,一人教壇に残って学生からの質問を待ったが,期待したほどではなかった.
演習科目でも,こちらから「解らないところはどこ?」と誘い水をかけないとなかなか質問しない.学生が研究室に相談に来たときも「どうしたの?」と聞かないと自分から話し始めないし,終わっても「もういいかい?」と切り出さないと去ろうとしない.この傾向は就職シーズンを迎えた学年になっても同様で「君の夢は? 何に興味があるか? 社会にどう貢献したい?」の問いに対して,まともな答えが返ってくるのは三割にも満たない.「無いものねだりしても仕方がない」とさじを投げてしまっている教員も多い.
「経済危機」がやっと峠を越えた今,今後このような学生が大量に巣立つ「人材危機」の波が少なくとも十数年は継続するだろう.なぜ若者が受動的・消極的になったかは大学以前の家庭や初等教育まで遡らなければなるまい.それは別の機会に譲るとして,問題は人材の二極化にある.自主性,問題意識,挑戦,社会性などの人間力を備えた優秀な学生は少なからずいるが,むしろ人間力が不足した学生の比率が多くなり,この格差が開くことにある.
企業は特に敏感で,大学名はもちろん,学業成績も横に置いて面接による総合的な人間力を重視するようになった.裏を返せば,専門性は先ず横に置いて,吉田松陰のように若者の全人格を高揚する教育力・使命感を持った資質が大学教員にも要求されるようになるのだろうか.