明治十一年(1878 年)6 月から 9 月にかけて,通訳兼従者として雇った
伊藤鶴吉を供とし,東京を起点に日光から新潟県へ抜け,日本海側から
北海道に至る北日本を旅した一人の女性がいた.当時 47 歳のイギリス人
イザベラ・ルーシー・バードである(図 54.5).彼女の『日本紀行』に,
そのころの日本の風情を記した貴重な資料がある.
「私は奥地や蝦夷を 1200 マイルに渡って旅をしたが、まったく安全で
しかも心配もなかった.世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にも
あわず、まったく安全に旅行できる国はない」
さらに,「東洋の小国日本は,一見するとくすんで見すぼらしい.
華やかな色彩と金箔は寺院だけでしか見られない.宮殿も別荘も灰色の
木造で,建築様式から見ると富裕階級があるとしても見かけではわからない.
衣服の色は一般に地味な宵(日暮れ色)や茶や灰色で,金属は身につけて
いない.あらゆるものが粗末で色薄く,単調なみすぼらしさが町の特色と
なっている.ところが町は美しいほどに清潔なのだ.掃ききよめられた街路
を泥靴で歩くのは気がひけるほどである.藁や棒切れが一本でも,紙一枚
でも散れば,たちまち拾いあげられて,片づけられてしまう.
どんな履物でも,箱やバケツに入っていないときには,一瞬の間でも街路に
捨てておくことはない」とある.イザベラ・バードも立ち寄ったと言われる
東北の大内宿の現在でもその面影が残っている.現代にも通じる日本の安全
と清潔な街路,その風情について的確に表現しているといえよう.