大隈重信は,天保九年(1838 年)に佐賀藩の四百石取りの上士(上級武士)の長男として生まれた.大隈家は代々砲術家として佐賀・鍋島家に仕えていた.父・信保も藩命で長崎に警護のために赴任していた.大隈は,家業とも言える砲術にとって重要な数学(算術)の訓練を受け,さらに,佐賀藩の開明派のエンジニア藩主・鍋島直正のもとで薫陶を受けた.また米国の宣教師であり機械工学のエンジニアであったフルベッキに学び,若い時には理系の学問やエンジニアの素養を育んでいた.そのため,数字に強くなり,理系藩士としての道を歩んできたといえよう.
今に残る『フルベッキ書簡』によると「一年以上前に(来日直後),私には二人のとても優秀な生徒,大隈と副島がいた.彼らは私と一緒に新約聖書の大部分とアメリカ合衆国憲法のすべてを読んだ」とあり,二人の秀才に英語の原典を読ませることによって,キリスト教と近代民主主義の精神を同時に教えようとしたのであろう.